7月24日 金曜日

嘱託殺人の容疑で医師二人が逮捕されました。そのうちの一人は元厚労相技官であったこともあり事件は大きく報じられています。患者さんは筋力低下は相当にあったようですが、生活支援などを受けており、メールの送受信などでのコミュニケーションは取ることができたようです。医師らは主治医ということではなく、患者さんとはSNSでつながりを持っていたようです。詳しくメディアをチェックしていないので、それ以上の詳細な内容については存じません。第一報を聞いた私の感想は、ただただ怖いことが起きたなということでした。ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、進行性に手足や喉、舌、呼吸をする筋肉が衰えてきて、嚥下や呼吸にも困難が生じてくる病気です。病状は進行していても、思考や知覚や内臓機能は維持されていますので、栄養と呼吸療法をしっかりと行うことができれば長い期間生きることもできます。前回の衆議院選挙でも同疾患を患っておられる方が立候補し当選されたことは記憶に新しいところかと思います。私自身もこの疾患で在宅療養をされる患者さんを受け持っていたことが幾度かあります。まずは今回の事件を聞いて私が感じたことは、こういった難病を持つ方は病苦や将来の不安、家族への負担を苦にして困っている存在なので、”健常な”私たちがなんとかしてあげないといけない存在である・・というようなステレオタイプが一人歩きしてはいけないということでした。適切に必要な支援を受けながら、毎日を過ごしておられる患者さんや支えている家族はたくさんいらっしゃいます。先ほど申し上げた危惧は、ややもすると病気の方はかわいそうで、私たちはそれを何とかしてあげる立場の人、というような上下の関係を持って語られることと言い換えても良いかもしれません。もう一つ感じたことは、これをきっかけに安楽死・尊厳死議論が語られ始めるのだろうなということでした。すでにその兆候は見え始めています。世界初の安楽死法制化を行ったオランダでは、そして過去の事件における日本の司法においても、安楽死の条件が示されています。大まかには以下のようなものです。医学上不治の疾患で死が迫っており避けられないと判断されること。患者が耐え難い身体的、精神的苦痛に苛まれていること。苦痛を除去し得る手段が他にないこと。明示された患者の意思表示があること。今回の事件は死期が迫っていることや、代替手段が講じられたか否かについて大いに疑問があるので、安楽死議論の俎上に載せることすら憚れるものだと考えています。ましてやその議論を政治家が口にすることにはおおいな違和感があります。議論をすることがいけないのではありません。この事件を端緒に口火を切るということがナンセンスであると申し上げています。ましてや政治の役割は、まず第一義的には、病気で困っている人であっても生きづらさを感じることなく過ごしていようと感じられるような社会を作ることであると思います。このような事件と絡めて安楽死の議論を深めていこうという発信をするのは、あまりにも現在の当事者である患者さんや家族に対して配慮を欠いていると思います。議論はすればいい、しかし今回のような事件、ある意味優生思想に繋がるような背景を持つ事件と関連づけるのは筋が悪すぎると思いました。過去に裁判がなされた安楽死をめぐる事件では、東海大学でも川崎協同病院の事件でも、主治医と患者の関係があって、そこで色々な葛藤があり・・という文脈があったわけですが、今回はそんなものすらありません。行き当たりばったりの、まことに醜悪な事件であるとしか言いようがありません。とりいそぎ書いてみましたがもう少し考えを深めてみたいと思います・・・。