6月19日 水曜日 雨

ようやく梅雨らしい天気になってきた。

非・都会暮らしを始めて久しいが、世の中つくづく便利になったものだと思う。欲しいものがあればインターネットとパソコンさえあれば、早ければ翌日には手に入れることのできる時代である。某熱帯ドットコム、いやいや密林ドットコムの書物コーナーでは実際に手に取って、数頁めくるような感覚で、ものによっては中身の確認までできるものもある。何を今さら・・・という話題ではあるのだが。だいたいそんな見本に公開されている中身部分はと言えば、小説であれば書き出しの数頁である事が多い。小説の書き出しと言うと、すぐに思い浮かぶのはやはり夏目漱石であろうか。『我輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。』などというのはおそらく知らない日本人はいないであろう。他にも坊ちゃんなら『親譲りの無鉄砲で子供の頃から損ばかりしている。』であったり、草枕の『山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。・・・』なども印象的な一節である。海外の作家であれば『ある朝グレコールザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹のとてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。』なんていうのは、もうなんじゃこりゃ、ではなかろうか。小説の書き出しはやはり読者の心をつかむ上では、作家の一つの腕の見せ所なのではないかと思う。古典をひもとけば、『男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり。』と、女になってしまった紀貫之さんや、『つれづれなるままに、日暮らしすずりにむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく』書き尽くしてしまわれた、兼好法師なども、むかし苦しめられた思い出のある方は多いであろう。はたまた『祇園精舎の鐘の声』の祇園って京都の事かいな?と思ってみたり、とにかく皆に暗記される書き出しを書くことができれば、今風に言うと”つかみはオッケー”なのである。小生の好きな小説の書き出しは、とある主人公が一人汽車に乗って、鄙びた無人駅に降り立ちその土地の描写からはじまる・・・ような雰囲気が好きである。そこに漁港があったり、そのうえ海鳥が鳴いてたりなんかすると、もう鳥肌ものでゾワゾワしてくるのである・・・。人物伝などのフィクションでも、主人公の生まれ育った町並みの描写などから始まる書物は結構多いのではないだろうか。背景というのは小説のみならず、人の生い立ちにもとても重要なファクターなのかなと考えてみたりする。書き出しばかりで盛り上がってしまったが、最後に締めくくりのかっこいい著作をひとつ。『万国のプロレタリアートよ団結せよ!』で終わる、マルクスとエンゲルスの共産党宣言でした・・・(あ、わたくしの政治信条となんら深く関わるものではございませんので・・・)。

Double strand

Myriad判決ってご存知でしょうか?米国Myriad Genetics社の有する乳癌および卵巣癌の発症に深く関わっているされる遺伝子の特許に対して、特許適格性の有無が問われた裁判です。要するに研究者が同定単離したヒトの遺伝子に特許が認められるかどうかということが争われている裁判です。乳癌遺伝子の方はついこの間に話題になっていたBRCA1という、あのアンジェリーナジョリーのやつですね。結局最高裁の差し戻し審では、遺伝子の配列そのものには特許は認められないが、単離の方法などには特許はあり得べし、となったようです。どうでも良いような判決ですが、これって結構重要な事柄を含んでいるようです。例えば、その遺伝子を利用した検査や、治療薬などについて、患者が治療をする度ごとに、見も知らない会社に特許料という名の治療費を支払わねばならなくなったり・・・