10月25日 日曜日 はれ

久しぶりに快晴と呼んでもよさそうな朝です。太陽の光が差し込み、鳥のさえずりと冷えた空気で外に出た瞬間に身が引き締まるような厳しさと心地よさが同居したような一日の始まりです。

さて、今日は「へこたれなかった人」についてのお話をしてみようと思います。へこたれなかったと書いたのは、その方はもうすでに鬼籍に入られているからです。今頃はきっとお空の上から家族や我々そのほかの人々を眺めておられることでしょう。出会いは一枚の情報提供書でした。一般に紹介状と言われるそのお手紙には、その方の主治医の先生からその時に至るまでの病歴が淡々と要領よくまとめられて書かれてありました。約5年間にわたる難病に対する治療が綴られたその内容を一読して私は色々なことを感じました。実に何種類もの治療薬をトライされ、おそらく自分で調べられたのであろう医療機関の受診は複数件ありました。最終的に薬石効なく、ご自宅でご家族とともに残された時間を過ごしたいと、緩和ケアを標榜する私のクリニックを訪ねられたのです。通常こういうケースはそもそもの主治医の治療で効果が得られずに、次々と転医される過程で、最終的に頼るすべなく・・という例が少なくないのです。しかしその手紙にはもともとの主治医からのきちんとした情報提供が記載されてありました。その方がいかにdecent personであったのかが一目でわかる紹介状でした。病状が悪化する状況でも、それまでの医療関係者との関係を良好に保ちながら、いくつかの医療機関への紹介を経て、複数の治療を受けてこられ、最終的に自宅療養を選択した決意のようなものも同時に感じました。それはある意味では絶望的な決意であったのかもしれませんが、初診時のご表情からはそのようなひどく落胆した印象もなく淡々とお話をされていました。しんどい症状が強くなったのですが、いわゆる鎮静という眠りにつく薬剤を使用するというこちらの提案にはなかなか首を縦に振られることはありませんでした。最終的にはご自宅で、たくさんのご家族に見守られながら天に召されました。ご家族も冷静に熱心にケアをされたと思います。曰く「彼女はいつの時も、弱音を吐くことはありませんでした」とのことでした。短い間のお付き合いでしたが、もちろん私も彼女の弱音を聞くことはありませんでしたし、あまつさえそのような表情を見せられることすらありませんでした。

人は皆いつかは死ぬものです。天寿を全うされる大往生もあれば、予期せぬ病気に早くして亡くなられる方もおられます。それぞれに遺された人たちへのメッセージは大切で貴重なものでありましょう。へこたれなかった方のメッセージは、もしも人生のシナリオがすこし違って、天寿を全うされていたなら遺すことができなかったものですし、敢えてご批判を承知で申し上げるならば、早くして亡くなられたからこそ遺すことができたメッセージでもあるのだと思います。それだけにご家族の心にも末永く、尊いものがあるのではないかと思いました。