9月3日 火曜日 雨

今日は医大GPという催しの一環で、学生さんたちが地域医療を学びにやって来られました。マメな院長ならば、みんなそろって写真の一枚でもとるものなのでしょうが、そんなことを私に期待されても困ります!職員の皆さんにいただいた誕生日のケーキすら、何を記録することもなくザクッとメスを・・いやいやナイフを入れてしまい、そのことに気づいたのはすっかり平らげてしまった後のことなのですから。ま、それはよしとして、来られた学生さんたちに有意義な一日を提供できたかどうかはよくわかりませんが、まあ何かしら感じ取って頂いたのではないかと思います。頑張ってくださいね。一緒に往診をしながら考えたのですが、地域医療、とりわけ在宅医療の現場では色々なロールプレイヤーさん達がいて成り立っているわけです。昨今地域包括支援センターなるものが各地に作られており、その職員さんたちがまさに中心となって各々の患者さんたちのケアをプラニングしていくのです。われわれ主治医もその中の一員として振る舞わねばなりません。少しのことがきっかけで容易に重症化する患者さんたちは、常に基幹病院への入院と在宅の生活を行ったり来たりする可能性もあるので、その病院の先生方との橋渡し的な役割も重要な役目であると考えています。ヘルパーさんや訪問看護さんは我々よりもより密接に患者さんと日々接しておられますから、患者さんの声はそちらからの情報がメインとなります。一方で基幹病院の先生方の意見や考え方は、我々が患者さんたちにフィードバックする役割を担うことになります。そこで時々感じることなのですが、「末端ほど情報や議論はホットになり易い」ということです。情報交換をしなければならない二者が存在した時に、直接意見交換ができれば良いのですが、一定距離を介在する場合には、それぞれの端っこの方でそれぞれの意見が熱くなってしまうことってあると思うのです。なので、我々の役目としてはお互いの中心的な部分で双方の意見を集約して、伝達する役割を果たすことが重要なのではないかなと。小学校の理科の時間に教わったと思うのですけれど、ろうそくの炎には三層構造があり、最も内側から炎心、内炎、外炎と呼ばれ、酸素の供給を最も受け易い外炎は一番温度が高くホットになる、というのに似てるなと思いました。そう、末端に成るほど熱くなり易いのです。今イチわかりにくいたとえでしょうかね(ポリポリ)。

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さて、新米を頂きました。通常量のお水で炊くとみずみずしいためかやや柔らかめになりました。テカテカで美しく、香りが全然違います。もちろん味は言うまでもありませんでした。冷やご飯になってからの味もまた楽しみです・・・。

ところで・・・「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「おごれる平家は久しからず」故事ことわざってよく言ったものですね。