男子足下を固めるべし・・・

5月31日 金曜日 梅雨の中休み

早くも5月も終わり、月末かつ週末の一日でした。いよいよ裏の田んぼでは夕方になるとケロちゃんの大合唱です。診療後に訪問されたMRさんが爆笑しておられました(爆笑はその前にきちんと伏線があるのですがそれは内緒の話なのでここには書けません・・・)。やはりブログはついついさぼりがちであった今週ですが、週初めは関節リウマチの講演会の視聴、昼と夕の往診など、なかなか珍しく?忙しい日々でした。忙しければ忙しいほどアドレナリンが出る体質の小生ですが、そんな性質はおそらく外科医時代の賜物なのでしょう。夜は睡魔に襲われて読書ができないのが玉にキズではありますが・・・。日本医大小杉病院の勝俣先生のブログは時々訪れるのですが、その落ち着いた物言いに共感する事が多いです。腫瘍内科医という日本ではまだまだ認知度の低い専攻科なのですが、がん治療に関する提言には考えさせられる事が少なからずあります。メディアでのがん治療の取り上げ方は、最先端医療かがんを克服した患者さんの成功物語に尽きるとのご指摘、まさに正鵠を射るものではないでしょうか。僕たちが日頃接している患者さん達はそのどちらにも恩恵を浴することのない方がほとんどです。その最先端医療とは、あまりに最先端過ぎて保険適応になっていないことも多いですし、いわゆる第一相臨床試験と言われる安全性調査の段階のものであることもしばしばです。限られた治療方法や治療薬剤で、ご家族やお仲間と日々病気と向き合っておられる日常はニュースにもならないのでしょうが、これこそがまさにリアルな闘病記であると思います。少しでもそんな患者さん達の心の支えになれれば良いなと・・・思います。まあ現実はなかなか難しい事が山積しているのではありますが。

スリッパ

むかしおばあちゃんが、『男の子はクツだけはええのん履かんとあかん。』って言っていたのを思い出したわけではないのですが・・・院内履きを新調しました。よっぽど嬉しいんやなあ・・とからかわれるのを承知でアップしておきましょう。

濃厚な講演2題

5月25日 土曜日 快晴

なぜか地域の運動会が集中的に行われていたようで、少ないスタッフでなんとか午前中の診療を切り抜けて往診の後、医師会誌でチェックしておいた講演会を2件はしごしてきた。京滋緩和ケア研究会と京都小児科医会。2年前にはまったく考えられないこのチョイスである。いずれも聴きたかった特別講演の頃の時間帯にこっそりと忍び込んで後ろにちょこんと座って聴いていた。余談であるが、講演会といえば、最前列から埋まっていくアメリカの会議と、後ろ側に集中している日本の会議、国民性というかなんというか・・・と留学時代に思ったものである。二つの研究会そのものが自分の専門としていた分野と異なるためか、何となくアウェー感満載のため、後ろの入り口からこっそりと入って、最後列のそのまた後ろにある関係者席のようなところで居心地よく聴いていた我が身は“日本人やなあ”と妙に納得。肝心の講演会の内容であるが、緩和の方は大学のときにお世話になった久保速三先生(現在京都医療センター)の「鎮静のガイドラインを読みながら」と、もう一つはB型肝炎の予防接種定期化にむけて戦う横浜の乾あやの先生のものであった。久保先生のお顔を拝見するのはもう何年ぶりであろうか。お話の内容はいくつかの具体的な症例提示から敷衍して聴講者に考えさせる形式で、答えを語られる訳ではなく(簡単に答えが得られるような内容でもないのであるが)非常に余韻の残る講演であった。最後にお声をかけて帰ろうかとも思ったが、次の会もあったので、またの機会にすることとした。消化器外科出身の先生ではあるが、昔から独特の語り口でファンの多い先生であったことを思い出す。緩和ケアはまさに先生のフィールドであるなあと感じた。気取る訳ではないが終末期医療はアートとサイエンス両輪に腕を磨く必要があることを再認識した。まだまだである・・・。

Hepatitis day

もう一つの講演は・・・古くて新しいB型肝炎の話題。乾先生の怒りの講演であった。

母子垂直感染への介入だけではまったく肝がんの患者が減少していないこと・水平感染で不幸な転機をとる子供の感染患者たち(ジェノタイプAのお話)・時に性感染症というニュアンスに矮小化されて語られるメディアでの報道・ずっと昔からB型肝炎ワクチンは発ガン抑制効果があることが実証されていたのにもかかわらず「世界ではじめてのがんワクチン」と称される子宮頸癌ワクチンのことなど 詳細はまたの機会に・・・。

Don't let hepatitis tear your life apart….

1歳のお誕生日

5月24日 金曜日 晴れ

正確には昨日でしたが。無事に1周年を迎える事ができました。スタッフにも支えてもらいながらではありますが、何とか日々の診療をこなしてくる事ができました。勤務医生活とは仕事の密度や内容がかなり変わり、いまでも充分とは言えませんが、今後はより一層、地元の皆様のかかりつけ医として信頼頂けるように頑張りたいと思います。

初心忘れるべからず・・一年前の写真です。

2012 5

Kanban

今日は、在宅診療をしている患者さんの、基幹病院での診察にお邪魔してきました。自分より遥かにベテランの先生の診察を見学できてたいへん勉強になりました。

しかし1周年の記事はきちんと1周年の昨日に書かないとダメですね〜やれやれ

歳月人を待たず

5月17日 金曜日

気温が上がってきました。不思議なもので夏になると雪が懐かしくなります。除雪機器はいまが販売時だそうです、余談ですが・・・

先日舞鶴で外科をされている大学時代の先輩がクリニックを尋ねて下さいました。もっとも当時は鬼の先輩でとっても怖いかただったのですが、月日が経てば何となく人間関係も変わるものだなあと実感。子供の事や仕事の事などゆっくりお話をする事ができ何とも言えないひとときでした。ちょうど子供の頃に大きな違いだと感じていた事が、実は大人になってみると全然たいしたことではないように思われることってたびたびあると思うのですが、そんな感覚でしょうか。先輩はいまでも北部地域の循環器外科の屋台骨を支えておられる尊敬する先生です。ホノルルマラソンなども走っておられるバイタリティあふれる方ですので、やっぱり自分とは桁が違う人だなあと実感。”外科医が手術から他の仕事にシフトする時ってどんな感じなん?”っていく問いには旨く答えられなかったのですが、手術とはまた違った面白さがありますよ、とお返事しました。大学病院のウェブサイトを見てももう過半数は後輩の先生方が活躍しておられます。研修医の頃にはカンファレンスで質問攻めにあって炎上していた彼やなあとか・・・思い出しております。

古典

そういえばディベート文化の権化のような方が自らの発言でてんやわんやの大騒ぎのメディアのようですね。この国にはタブーとか奥ゆかしさとか無くなってしまったのでしょうか・・・皆さん不毛な言い負かし合いはやめて、古典にかえりましょ〜

ディベート文化

5月13日 月曜日 晴れ 暑い!

朝はうすら寒く、思わずエアコンの暖房マークのボタンを押してしまったのだが、午前中の診察が進むにつれて窓を開け放ち、外からの風を取り入れるほどになっていた月曜日。福井大学の林寛之先生という救急のエキスパートかつ教育者がおられるのであるが、この方のインタビュー記事が今週の週刊医学界という雑誌に掲載されていた。新しく社会にデビューする研修医に向けて語られたものであるが、これがなかなかおっさん医者にも新鮮で面白かった。なかでも、”怒らない医者になれ”という部分には多いに共感するものがあった。皆が気を遣って情報が自分のところに入って来なくなるというデメリットについて語っておられるのであるが、患者さんからだけでなく、色々な周辺のスタッフからも入って来る情報リソースを、みずから限定してしまう結果となる行為を戒める教訓であろう。医療という双方向性(多方向性)が重要視される人間の営みにおいては多様な意見に耳を貸すということが非常に大事である。スタッフとの関係で言うと、一つの疾患に対する治療的アプローチにも色々な意見ややり方があるし、自分には見えていない、あるいは聞こえていない患者さんの訴えに、スタッフから指摘をもらうことも非常に多いと思われる。患者さんとのコミュニケーションにおいても、殊更に医療は受給者と供給者の間での情報量があまりにも違いすぎるため、ともすると一方向性となり、俗にいうパターナリズムに陥り易いという指摘がある。やはり情報の流入路は常にオープンでないといけないのである。アメリカ発ディベートの功罪が語られるようになって久しい。小生、日本でいうディベート教育論にはとても疑問を持っているのであるが、そもそもディベートとは、互いに相反する意見を持つもの同士がさまざまな論述テクニックで相手をやり込める勝敗のゲームという一般的な理解とは本質的に異なるものであると考えられる。むしろそれは、自分と異なる意見に大いに耳を貸し、相手の立場に立って自らの意見をもう一度見なおし、お互いの良いところを尊重し合うことによって、よりよいオピニオンを形作っていくというものであると定義されるものらしい。深夜の討論番組など、それこそディベートの代表番組と捉えられがちであるが、声の大きさで他人の意見をかき消してしまおうと口角泡飛ばして怒鳴り合っているあのショーアップはおよそディベートとは言えないものであると考える。相手より1点でも多く点数を取りなさい!相手を論破しなさい!などと常日頃から叱咤され続けている子供達はかわいそうである。塾などのプライベートな場ではともかく、競争原理などを公教育の場に過度に取り入れすぎるのは如何なものかと私は考えている。おおらかに、ゆったりとした時間の流れの中で、最大多数の幸福を皆で考え合うそんな場に学校がなれば良いのになあと切に願う今日この頃である。なかには進学校でも、バリバリの進学コースの他に、受験勉強からやや離れた授業内容で、ゆっくりと考える能力を育み鍛える独自のコースを用意している学校もあるという。やはり先生達もそいういう教育に飢えているんだなあと思った。やれTOEICだTOEFLだなどというのはやろうという気のある子供達が自分で頑張れば良いのである。かけっこまで順位をつけるなとは決して言うつもりはないが、競争原理や市場原理を教育現場には持ち込み過ぎないでほしい(ついでに医療現場にも・・・)。

ふきとワラビ

山菜のおいしい季節です。ふきとワラビ・・。頂いたものもとっても美味しかったです。