1月27日 月曜日

穏やかな一日でした。最近時々、働き盛りのかたの特定健診の結果を診察時に拝見することがあります。特定健診とは別名メタボ健診と呼ばれるもので、一時あんなものは役に立たないのではないかなどと槍玉に挙げられていたこともありました。確かにウエストが何センチだったかだけを取り挙げても無意味ですし、それ自体にさほどの意義は感じないのですが、健診自体は結局のところ、それを利用する人間次第かなあと思います。特定健診そのものに意義があるかないかを論ずることはあまり意味がなくて、それを有意義なものにするにはどうするかということを考えなければならないと思います。利用する人間の中でも最も重要なのはやはり医師だと思います。とりわけ、2次健診としての診察を担当する医師の役割はとっても大事です。30歳代、40歳代の元気な方が持って来られた検査で、時に見過ごせない数値を見ることがあります。そういう方にどのように病状説明を行い、その後の生活をして頂くのかということはひとえに、担当医にかかっているわけです。とりあえず数値を補正する薬を処方するだけ、などというのは一時期数値は良くなるかもしれませんが、そのうち忙しい毎日に紛れて、受診することもおろそかとなり、また元の木阿弥に・・という結果が見えてきますし、かといってその方の食生活や生活習慣にだらだらとお小言を並べ立てても、気を悪くしてかえって逆効果になるかもしれません。ことほど左様に現在健康な方への診察は難しく、その健診結果の取り扱いには慎重を期すべきものであると考えています。すぐに数値を改善することだけに力点を置かず、どうしたら長いスパンでご自分の健康に気を遣って頂くことができて、10年あるいは15年後に、動脈硬化の進行なく、合併症のない健やかな日々を送って頂くことができるか、ということを目標にしなくてはいけないと、自らを戒めております。やっぱり、お父さんには(お母さんもですが)、ちっちゃな子供さんたちが一人前になって巣立って行かれるまでは少なくとも元気で頑張ってもらわなければならないですしね・・・。いくら高スペックのパソコンを持っていても、使う側の頭が未だに32ビットならばそのパソコンは宝の持ち腐れになるっていう訳なのですから、やはり特定健診というハードに十分なソフトとなれるように、我々医師が活躍しなければなりません・・。

何となく最近は「フィクションのモード」スイッチが入っているので、小説読みのペースが上がっています。小生はフィクションモードとノンフィクションモードが交互に入れ替わるのです。ついこの間は、元新聞記者の方の事件記事にもとづいた作品を読みふけっておりました。ノンフィクションの魅力は何と言っても迫力ですね。真実は何物にも代え難く訴えてくるものがあります。フィクションは他人の人生の疑似体験というのでしょうか、乏しい自分自身の人生経験に豊かな何かを与えてくれるような気がします。ま、そのわりにあまり成長してない自分自身なのですけれど・・