8月7日 土曜日
戦艦大和と戦艦武蔵はおそらく多くの方がご存知だと思います。実はこの大型戦艦の建造計画に三男坊がいた事はあまり知られていないかもしれません。信濃は建造当時世界最大の空母だったのです。真珠湾で戦果を収めた海軍がその後ミッドウェーで苦戦をした後に、急遽大和武蔵につぐ3番目の大型戦艦の建造を変更したようです。空での戦いを強化するために投入しようと考えた軍が、巨大空母を必要と考えたことに多くの異論は出てこなかったのでしょう。工期を圧縮して、急ごしらえで作られたためなのか、船内には不備がいくつもあり、適切な艦内の注排水もうまくいかず、横須賀から呉海軍工廠に移動する際に米戦艦アーチャーフィッシュから受けた4発の魚雷で船尾から海底に沈没することとなります。実際に同艦を飛び立つことができた戦闘機は、演習の際の1機のみだったという話でもあります。当時作成された信濃の運命についての詳細な報告書は軍によって焼却され、その資料は現存していないそうです。なかなかの人間模様と現代にも通ずる私たちの社会の縮図のようなものを感じます。この夏は不幸な運命を辿った三男坊についての関連書籍を読んでみようかな・・・。