1月21日 月曜日 曇り

滞りがちな更新でございます。もと外科医というせいか、最悪のシナリオに備えるという習慣がすっかりと身に付いている私です。どういう事かと申しますと、手術というのはやはり生身の患者さんの体にメスを入れる治療ですので、術前の検査での予測と実際が違っていたりすることがよくあるわけです。例えば、肝門部胆管癌という悪性の病気があるのですが、この場合の手術は、手術前の読みとわずか1センチ違うだけで手術が不可能になったり、極端に難易度の高いものになってしまったりことがあります。要するに、手術開始後にAの部分の読みが違っていた場合はこうしようとか、Bという部分の予測が違っていたらこうしようとか、といった不測の事態に備えれば備えるほど、安全な手術に近づくということになっているわけですね。最近の政治経済の報道やニュース番組をみていてつくづく思うのですが、国債の債務も、右肩上がりの社会保障も、とにかく経済を立て直す事で良くして行きましょうという論調があまりにも多すぎるような気がします。経済がよくなレバ、解決するでしょう。というのは至極もっともなのですが、if not,ということについて語ることのできる人が少なすぎる(というか、ほとんどいない、すくなくともメディアでは)ような気がするのです・・。こんなことをいうと、悲観論者だと一笑に付されるのでしょうけれど。外科医、あるいは医師は常に、最悪のシナリオを想定している人種なのだなあと実感する今日この頃です。

タイトルは・・・アメリカでインターネットの鬼才といわれたアーロン・シュワルツ氏が自殺したという報道を目にしました。彼は14才の時からRSSというウェブ配信の規格の作成に参加したインターネット界の天才ですが、最近はマサチューセッツ工科大の論文のデータベースから大量のデータをダウンロードしたとして検察の厳しい追及を受けていたとの事です。彼曰く、『税金の投入されている学術論文は、万人に公開されるべき』との主張をしていたそうです。自殺についての事の深層はもちろん窺い知ることはできませんが、彼の言い分を宜なるかなと考える人は少なくないのではないでしょうか。

Pancake

出来上がりは・・・乞うご期待