5月13日 月曜日 晴れ 暑い!
朝はうすら寒く、思わずエアコンの暖房マークのボタンを押してしまったのだが、午前中の診察が進むにつれて窓を開け放ち、外からの風を取り入れるほどになっていた月曜日。福井大学の林寛之先生という救急のエキスパートかつ教育者がおられるのであるが、この方のインタビュー記事が今週の週刊医学界という雑誌に掲載されていた。新しく社会にデビューする研修医に向けて語られたものであるが、これがなかなかおっさん医者にも新鮮で面白かった。なかでも、”怒らない医者になれ”という部分には多いに共感するものがあった。皆が気を遣って情報が自分のところに入って来なくなるというデメリットについて語っておられるのであるが、患者さんからだけでなく、色々な周辺のスタッフからも入って来る情報リソースを、みずから限定してしまう結果となる行為を戒める教訓であろう。医療という双方向性(多方向性)が重要視される人間の営みにおいては多様な意見に耳を貸すということが非常に大事である。スタッフとの関係で言うと、一つの疾患に対する治療的アプローチにも色々な意見ややり方があるし、自分には見えていない、あるいは聞こえていない患者さんの訴えに、スタッフから指摘をもらうことも非常に多いと思われる。患者さんとのコミュニケーションにおいても、殊更に医療は受給者と供給者の間での情報量があまりにも違いすぎるため、ともすると一方向性となり、俗にいうパターナリズムに陥り易いという指摘がある。やはり情報の流入路は常にオープンでないといけないのである。アメリカ発ディベートの功罪が語られるようになって久しい。小生、日本でいうディベート教育論にはとても疑問を持っているのであるが、そもそもディベートとは、互いに相反する意見を持つもの同士がさまざまな論述テクニックで相手をやり込める勝敗のゲームという一般的な理解とは本質的に異なるものであると考えられる。むしろそれは、自分と異なる意見に大いに耳を貸し、相手の立場に立って自らの意見をもう一度見なおし、お互いの良いところを尊重し合うことによって、よりよいオピニオンを形作っていくというものであると定義されるものらしい。深夜の討論番組など、それこそディベートの代表番組と捉えられがちであるが、声の大きさで他人の意見をかき消してしまおうと口角泡飛ばして怒鳴り合っているあのショーアップはおよそディベートとは言えないものであると考える。相手より1点でも多く点数を取りなさい!相手を論破しなさい!などと常日頃から叱咤され続けている子供達はかわいそうである。塾などのプライベートな場ではともかく、競争原理などを公教育の場に過度に取り入れすぎるのは如何なものかと私は考えている。おおらかに、ゆったりとした時間の流れの中で、最大多数の幸福を皆で考え合うそんな場に学校がなれば良いのになあと切に願う今日この頃である。なかには進学校でも、バリバリの進学コースの他に、受験勉強からやや離れた授業内容で、ゆっくりと考える能力を育み鍛える独自のコースを用意している学校もあるという。やはり先生達もそいういう教育に飢えているんだなあと思った。やれTOEICだTOEFLだなどというのはやろうという気のある子供達が自分で頑張れば良いのである。かけっこまで順位をつけるなとは決して言うつもりはないが、競争原理や市場原理を教育現場には持ち込み過ぎないでほしい(ついでに医療現場にも・・・)。
山菜のおいしい季節です。ふきとワラビ・・。頂いたものもとっても美味しかったです。