6月21日 日曜日
晴れている。今日は夏至の日でもあり、これから日一日と日照時間が短くなっていくという現実に皆は気付いるのであろうか。知られていそうで知らないこと結構あるな。もちろん私だけが気付いていないこともたくさんあることは言うまでもない。突然だが、我々の業界用語に「不定愁訴」と呼ばれるものがある。難病情報センターのウェブサイトにはこうある→用語:愁訴(しゅうそ) 患者の自覚的訴えのこと。その中心的なものを主訴といいます。明確な器質的疾患がないのに、さまざまな自覚症状を訴える状態を不定愁訴と言うことがありますが、好ましい用語ではありません(引用終わり)。要は、病気とは思えないのに、ごちゃごちゃとした訴えがなされることを評した、ちょっとした差別的解釈を含むスラングのようなものである。病気ではないのに、というのがミソなのだが、病気ではないと言い切るには病気の診断が正確にできないといけないのである。病気でないことを証明するためには、相当根気のいる作業が必要となる。悪魔の証明とも言われることがある”存在しないこと”の証明は、非常に困難なのである。そのためには、リストアップされてくる病気の可能性を全て潰していくほかないのだ。それ以前に、まずは可能性のある病気を全て列挙できることが必要である。そのような、根気の必要な作業が完遂できて初めて、その訴えが「不定愁訴である」と言えることになる。そんな患者さんが外来に一人でも来られると、脳みそをグルグル回しながら対応せねばならないので大変だ。時間とアタマと労力を使って、何もないことを証明するのである。残るものは・・・処方箋も処置も何もない「ということで、それではまた・・」という挨拶のみである。しかしその後も、あれはその結論でよかったのだろうか・・・?もしも〇〇だったらという疑念は頭を離れることはない。外来診療医とはまことに難儀なお仕事である。そんな時に、少し前の時期ならば、「昨日から、目がしょぼしょぼして痒くって、くしゃみが止まらず、鼻がズルズルなんです」なんていう患者さんが来られたなら・・・おーなんと単純な一発診断で、処方も簡単な患者さんが来てくれたことだろう、とホッと胸をなでおろすこととなる。だがしかし・・・である、みなさんもお気付きのこのようなアレルギー性鼻炎、いわゆる花粉症という疾患も、今では万人の知るところとなっているのだが、本当にそんなシンプルな診療で良いのだろうか。と、時々自問自答している。本当はきっと、そんな単純なことで済ましてはいけないのだろうと思う。現在では、アレルギーの薬は本当にたくさんあって、第一世代から第三世代までの抗ヒスタミン剤が群雄割拠しているのだ。患者さんたちも知ったもので、直接薬品名を指定して来られる場合も少なくないのである。抗ヒスタミン剤は副作用の出現に個人差があるので、正直言って実際に服用して見なければどういう評価になるのかはわからないと思う。誤解を恐れずに言えば、医師の方も逆ロシアンルーレットをするような気持ちで処方しているのようなものである。私はそこには医療の本質はないかもしれないと考えている。薬剤に頼る前に、花粉の暴露を避けることや、日常生活で気をつけるべきこと、あるいは処方薬をいかにうまく使用するのかということにも、もっと注目されても良いし、より多くの診療時間を割くべきであると思う。特に鼻炎を主症状とする花粉症の場合には、外用剤の使用が内服薬の副作用を避けるためには非常に重要であると思うのだが、外用剤がうまく使用できずに毛嫌いされている傾向は否めない。内服薬の副作用は何と言っても眠気であろう。単なる眠気なのであれば、夜に飲む場合など、睡眠薬がわりにでもなろうものであるが、この場合の眠気とはいわゆる朦朧とする認知能力の低下を伴うようなものなので、有害極まりないのである。うまくコントロールできない花粉症の場合に陥りがちな、薬剤のとっかえひっかえ状況に陥る前に、今一度先ほど述べたような事について、主治医として介入すべきなのである。糖尿病でも同じようなことが言えると思う。血糖値が下がらない、あるいは逆に上昇して来て状況が悪化している際に、まず考えるべきことは生活習慣の改善である。安易に薬剤で対応しようとしても、一時的にはよくなるかもしれないが、時間が経てばまた8割方の患者さんでは同様に血糖上昇の憂き目に遭うこととなる。医師は口が商売であるという小生の考え方は、そいういうところに因果を見出しているということだ(偉そうに…すみません)。