4月24日 日曜日

休日の朝にする話題ではないのですが・・・今、残忍な事件を起こして極刑の判決が下された方達への取材を元に著された本を読んでいます。

(以降、気が重くなるかも知れない内容ですので、そのような体調や気分ではない方は読まないでください・・・)

冒頭ではまず、最後のシーンがどのようなものであるのかについての記述からスタートされます。死刑を宣告された罪人が負うべき刑は命を絶たれることにあるので、その執行の日までの勾留は他の服役刑の方達が収容される刑務所ではなく、拘置所になるということです。前日に翌日の執行を告知される受刑者たちにも色々な反応があるらしく、拘置所の中で過ごす何年間の間にもそれぞれの振る舞いがあるのだといいます。教誨師との面会で心の平静を保とうとする人たちもいれば、ひたすら孤独に一言も発しようとはせずに時の経つのを待つ人もいるのだとか。そんな彼らに日々接する事になる刑務官の側の心情もさまざまで、やはり毎日顔を合わせることで、ある種情のようなものが形成されるということには想像に難くないところかと思います。選ばれた複数の刑務官たちがスイッチを手に、死刑囚らの最期の時を見守ることになるのですが、彼らの心にも大きな傷が残ることがあり、それを防ぐ配慮も幾重かになされているようです。世界を見ると、先進38カ国の中で死刑制度を残しているのは、我が国の他には米国と韓国だけだそうです。私は死刑制度存続の是非を論ずる前に、まずは情報公開が先決ではないかと思いました。アメリカ映画でたびたび目にするシーンと、冒頭の記述にある日本のそれとは大きく異なることがわかります。私もそうでしたが、多くの人は死刑制度の意見を求められたときに、どこか別世界のこととして考えてしまっているのではないかと感じました。この世の残忍な犯罪には、死でしか償うことができない、いやそれでも償うことなどできないようなものがあると思います。犯罪を犯した人はそのような裁きを受けるのが当然の報いでもあろうと思います。しかし、その結論に至る前に、私たちももう少し現実がどのようなものなのかを知る必要があるのだと思います。その上で、実際に執行を担う刑務官への配慮とか、果たして重罪を犯した人間に更生の余地が残されていないのかどうか、あるいは被害者家族の心情がどのようなものであるのかということを考えて制度を眺めていくことも必要なのではないでしょうか。私自身、積極的に知りたくない厄介な真実の世界のお話ではあったのですが、ひょんなことから手にしてみた書物で、少し頭の中が整理されたような気がしました。

ふー朝から重たい話題で申し訳ありませんでした〜

北海道の観光船の事故の話題とか、NYで新たに増えているというコロナの変異株とか、原因不明の小児の重症肝炎(アデノ??)とか、不穏なニュースが多いですけど、うまく気分転換しながら穏やかな日々を過ごしたいものです・・・