12月4日 金曜日
通天閣も太陽の塔も真っ赤になっているようです。昨日は仕事でもいろいろありまして、落ち込んだり、ちょっとびっくりしたり、相変わらずドタバタの私でした。
感染症を診療する上で、その時々のリアルな流行状況を知ることは非常に大事です。しかし状況を知ることと個人情報を守ることは背反することなので慎重にならざるを得ません。診療する上で私たちが知り得たことは秘匿する義務があるのです。ところが、現在のような感染症流行時や事件事故などに絡むとそのあたりの微妙な線引きが必要とされることがあります。住民の方からすると情報を隠していると思われることがあるかもしれませんが、かなりデリケートな問題であることをご存知頂く必要があると思います。・・・って書くと、何かクリニックであったのでは?と思われるかもしれませんが、何もありません。ただ一般論として思ったことを書いているだけですので誤解なきようお願いしますね(^^)。改めて・・・学校や企業などの組織内でクラスターという報道がされると、まずはそこでの感染対策がどうであったのかということがメディアでも取り上げられます。自ずと組織としては自衛の策を講じることが目的となってしまい、本来の目的であったはずの感染症を最小限度に食い止めるということと反対の方向に進んでしまうという矛盾が往往にして生じていることもあるようです。例えばある人がちょっとした風邪症状で病院を受診し、その地域で感染症の流行状況が高い場合には検査を行います。幸いにして検査では陰性であった場合に、めでたしめでたしとならないのです。もちろん症状があるうちは外出せずに自宅療養してくださいというのはもう常識ですね(いいですか?)。でも、検査を受けたということは感染症の可能性があるわけだから、検査を受けた時点でその後2週間は自宅療養を義務付ける〜!なんて決めてしまうとどういうことが生ずるでしょうか?ちょっとしたくらいの症状では検査を受けない方が良いだろうという心理が働くと思いませんか?全員がそう考えるとは思いませんが、そういうことなら検査なんて受けたくないと私なら思いますね。結果として、そんな方達の中から実際には感染症でしたというのが一定数生まれてしまい、その地域での感染症流行抑止ができないという状況になることを危惧するわけです。ゼロリスクへの神話が上記のような矛盾した状況をつくるのです。本来のゼロリスクは、春先に行った一斉休校であり、ロックダウンとも言われる緊急事態宣言なのです。それはなるべく避けて、世の中回していきましょうということで、現在みなが社会活動をしているわけですから、ゼロリスクをもうすでに私たちは手放しているのであるという認識が必要です(本来はこういうことが政治のリーダーから語られるべきだとは思いますが)。ですから・・・病院で、学校で、企業で、施設で、クラスターが発生するということはいわば「あたりまえ」なのです。
一時期さかんに議論された「検査をするべきか、限定して行うべきか」問題ですが、今(本当にこの1−2週間の意味での、今)は地域の感染症流行抑止のためには積極的に行うべき時であると考えています。なので・・・この時期に検査をすることと、さほど流行が懸念されていないときに検査をすることの意味合いが異なることがよく理解されないままに組織内での決め事を作る前に、ぜひぜひ一応の専門家である私たちの意見も聞いて欲しいな〜・・・と思うことがあり、このようなことを書いてみました。そしてその決め事は、いったん決めたら終わり、ではなくって、流行状況に応じて1週間単位で吟味検討し変更していかなくてはなりません。
あ・・・今日は「Absence of evidence…….」のお話を書くはずだったのだけど、それはまた明日以降に!?