3月11日 金曜日
5年前のその日も金曜日だったように思う。週末を前に大きな手術もなく、夕方医局にもどった時に皆がテレビに釘付けだった。街をのみ込んで行く黒い大きな波。すぐそばを小さなトラックや乗用車がそこから逃れるようにして走っている。まるでミニチュアの災害モデルを上から眺めているような感覚であった。車は必至で波から逃れようとしているのだろうが、悲しいかなすすんでいる道路は必ずしも波の進行方向からは逃げる方向には向かっていなかった。その日は舞鶴の先生方と食事会をする予定だったのだが、誰もそのような気分にはなれず、誰から言うともなく、中止となった。5年もの年月は忘れ去るには短すぎる期間である。
閑話休題
医学の進歩は目覚ましく(使い古されたフレーズだな・・)、C型肝炎の新薬の出現はかつての主役であったインターフェロンを必要としなくなったらしい。奏功率も高く、C型肝炎はもはや治る病気になったのだ、と断言されるまでになった。助成金もある事から患者さん自身の負担は軽く、長年治療薬を待ちわびた方々に取っては大いなる福音である。新薬開発には莫大な投資が必要であるらしく、1錠6万円もするお薬で3ヶ月間の服用でおよそ600万円程度の治療費となる計算となる。もちろん差額は医療保険や公金で賄われる事となる。同様に、ある種の癌に適応となったあたらしい免疫治療薬も昨年に保険適応となった。これは1回の治療が100万円前後という恐ろしく高額の治療薬である。因に1年間の治療費に換算すると3000万をくだらない計算だ。その病気の罹患率で考えると、その適応患者数は膨大なものであると推測される。日本赤十字の國頭先生の試算によると、該当する疾患の半数の患者さんに投与すると仮定しても、およそ薬剤費だけで年間2兆円弱となるそうだ。年間医療費40兆円の中で、薬剤費が占める額は約10兆なのであるが、それだけでこの薬剤に費やされる額がいかに桁外れのものであるかが実感できるだろう。増大する医療費が政治課題に取り挙げられて久しい。どう転んでも予算総額はある程度決まっているのだから、あとは分配の問題である。どこにどう保険適応をつけて診療報酬を決めていくのか、大きな目で俯瞰的に全体を見ている人が誰かいるのだろうか・・?などとず〜っとこれまで漠然と考えていたが、今回の事を知って、そんなこと誰にもできないのではないだろうかと思うようになった。不治の病といわれたものから、かけがえのない命を救うという事は、誰の疑いを差し挟む事もできないほど絶対的に正しい事である。そんな奇跡のような薬剤を開発するためには、その陰に無数の研究開発の失敗があって、製薬企業も薬価の見返りがなければ達成できないものなのである・・・と言われれば、ただただ頷くしかないのである。比較的声大きくして、世間に訴えかけられる難治がん患者さんの声・・・に対して、声にもならない呻きのような言葉を発するしかない高齢のじいちゃんばあちゃん。どちらも同じ一人のいのちであり、大切な医療である。その実、それぞれのバックに付いている人々が働きかけているロビー活動には大きな差があるのではないだろうか。なにも製薬企業がどうだとか言いたいのではない。小生にも、大手製薬企業の研究開発に携わっている親友がいるのだが、彼などは小生の数倍も、がん患者さんを救おうという熱意に満ちあふれている人物である。自分たちの周りにいる困っている人達を助けたい・・その思いは共通である。科学の進歩は人びとの生活を幸福で豊かにするのだ・・などという牧歌的な時代はもうすでに終わっているということなのではないだろうか。とうとう私たちは終わることのない、難解な世界に突入してしまったのだと思う。