8月12日 土曜日

昨日は女子サッカーの試合残念な結果となりましたが、ベスト8というのは立派なものでした。さて今日、8月12日は38年前に墜落した日航機事故のあった日ということになります。当時高校3年だった私の記憶にも強く残っている出来事です。その頃がちょうど働き出して3ヶ月目であったという駆け出しの記者だったジャーナリストの神保哲生さんの語りで、当時の報道陣の苦労を知りました。事故を題材にした小説「クライマーズハイ」というのも有名ですね。航空機からの映像で墜落部位は特定できていたものの、登山道もない道なき道を行く必要があり、なかなかその場所に到達できなかったのだということです。当時は携帯電話や衛星通信もなかった時代ですから、現場撮って出しの映像が、ヘリコプターのホバリングなどの技術を駆使してバトンパスされていったといいます。NHKのサイトで読めるウェブニュースでは、今まで報道されていたものとやや異なる視点で書かれた秀逸な一本がありました。当時空港の出発ロビーのカウンターで働いていた女性職員のインタビューに基づく記事です。その方は、チケットの販売の業務についていたそうですが、キャンセルのためにちょうど空きに変わった123便の空席を案内してお客さんに販売したことが悔やまれてならないのだと言います。また、ひとり旅で不安そうな小学生の男の子にも声をかけて励ましてあげたことなども脳裏に焼き付いて忘れられないそうです。この秋に退職されるそうですが、毎年新入職員への教育研修活動で、当時の出来事を語り伝えているそうです(山下哲平さんという社会部記者の方の署名記事です)。事故の原因究明は今でも十分であるとは言えないとも言われていますが、当時の検証に際して、日本の法律の不十分な点もあったそうです。ボーイング社への調べについては、やはり同社が刑事訴追を受けるかもしれないという状況であったため、積極的な情報開示に協力がなかなか得られなかったのです。そういった場合に他の国では、訴追の可能性についてある一定の免責を与えながら全面協力させるという法整備があるそうです。責任追及も大事ですが、事故被害者の家族らの強い思いとして残されている、どうしてその事故が起こったのか?という思いに応えられないでいる一つの大きな要因なのかもしれません。暑い夏、毎年日航機事故のこととか、戦争のことなど思いながら毎年この時期を過ごしています。