5月15日 日曜日
沖縄本土返還50年の節目の年ですね。今日はメディアも関連の特集が組まれたりしている事でしょう。ふだんから時々拝聴している津田大介さんの番組では、年初からたくさんの関連情報発信に取り組まれていましたので、今まで知らなかった事もたくさんあるのだと認識を改めていました。自分が生まれた頃は、まだ内地では自動車は右側を通行していたのですね。小渕総理大臣の肝入りで世界サミットを沖縄に承知したのが2000年でしたか。不幸にも小渕総理その人は、その開幕の寸前に脳梗塞に倒れて帰らぬ人となられたわけですが。あの頃の政府首脳は、小渕氏にしても、野中広務氏にしても、沖縄県民の皆さんへの温かく熱い眼差しがひしひしと感じられたという記憶があります。決して今がそうでなくなったと申し上げるつもりはないのですが、現実の世の中をみるとよく例えられる内容として、日本の国土全体の1割以下の面積しかない沖縄県に、在日米軍基地の全体の7割が存在するという事実をおざなりに考えることはできないと思います。大戦中、太田実海軍司令官は無慈悲な戦いに巻き込まれた県民の惨劇に心を痛め「沖縄県民かく戦えり県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」との電文を本土の上官に打ったとの事です。その逸話の重みを考えると、基地負担の解消はおろか、まだまだ戦火に沈んだ方達の遺骨収集もままならない状況で、ましてやその遺骨の眠る県南部の土砂を、米軍用地建設のための埋め立てに使用するという発想の無邪気さに驚かされるばかりです。これに反対の意を表明する議決を、私たち京都の府市も昨年末におこなっているという事がわずかな一筋の光と感じています。来年には広島へのサミット誘致を働きかけるという話もあるようです。岸田さんのお膝元でもありますが、ヒロシマでの開催もそれはそれで意義あるものになるのではないかと思います。日曜日のぼんやりした時間にちょっと重めの話題を書いてみました・・・。