6月3日 土曜日
先日行われて大成功だったと目されている主要先進国首脳会議ですが、ちょうど2000年に小渕首相の肝入りで行われた沖縄サミットから約20年余が経っての今回であったわけです。沖縄への強い思い入れを実現させた総理が直前に急逝されたのが思い出されます。今回はウクライナの指導者のサプライズ参加で話題がジャックされてしまいましたが。その高評価の一方で、この20年間に起きてきたことに目を瞑ってはならないというふうにも思います。かつて7カ国中のトップクラスというかほぼトップであった一人当たりGDPが現在最下位になっているということとか、その他の色々なパラメータで ”日本だけが” という枕詞で語られる項目がかなり多いことに気付かされます。それもネガティブな意味において。先日経済政策の分野に多くの提言をされている野口悠紀雄氏のインタビュー記事を目にしたのですが、そこでは低金利政策のもたらした功罪について述べられていました。確かに恩恵を受けたであろう企業の財務状況の改善は悪いことではなかったのかもしれませんが、違った角度からこれを見ると、経済構造の変化を起爆剤にすることなく、それまでの高度経済成長で成功を収めていた製造業路線を堅持することが今私たちが見ている低迷の一因ではなかったろうかという分析です。その間でスカイロケットになった米中の状況を見ると、その分析にはある程度誰しも頷かざるを得ないのではないかと思いました。低金利・インフレ目標が設定され、その先にはトリクルダウンがあると信じ込まされていた私たちは今どんな状況に置かれているのでしょうか考え込んでしまいます。潤った企業はその間どうしていたのか?同氏は”居眠りをしていたのではないか”と述べられています。情報通信産業への路線転換や、経済効率を高める作業を怠り、かつて誇っていた株式時価総額トップ50に名を連ねていた錚々たる企業が凋落してしまったことの分析・総括や反省を誰がやっているのでしょうか。なーんて考えてしまったらいつの間にか眠りに落ちていました。もしかすると賛否両論あった、この30年取られていたはずの新自由主義政策路線もその実、言葉遊びのみで、それすらまともに行うことができていなかったのではないのかなと思わされますね。現在他国がほぼすべて路線転換に舵を切っているとされる低金利から金利上げへの変更はいばらの道だと言われます。それまで取られていた、いわゆる護送船団方式ではなく、思い切った切り捨て覚悟の政策が叫ばれていたバブル経済破綻の後処理問題と相通ずるものがあるのではと感じますね。一点異なるのは、30年前のそれは、割を食うのは住専だけだったけど、今回は私たち一人一人の国民に振ってくる災難が予測されるという点でしょうか・・・泣。関東はまだ雨の心配があるのでしょうか、当地は晴れているようです。では気を取り直して、今日も自分のやるべきことをコツコツと取り組むことにいたしましょう。