8月13日 月曜日 雨〜

10日の金曜日は車で30分くらいはなれた診療所の先生にお誘いを頂き、BBQに参加して来ました。数年前に、ある地域の長年の住民の方の悲願であった診療所の再開に一肌脱がれて、京都市内から来られた先生です。僕が学生実習をしているときにちょうど大学病院で講師をしておられた事もあり、こちらは一方的によく存じ上げている方です。大学実習の頃からパワフルに学生の相手をされ、進路選択時にはその科も選択肢に入っていたものです(こういうと、『そいういうやつは多いんやけど結局だれも選択せんかったもんな!』と、先生は言っておられました。)兵庫県のほうで診療所を営んでおられる、先生の1年先輩のかたも来ておられて、とてもにぎやかな楽しいバーベキューとなりました。他の診療所の先生や、職員さんともお話ができて、自分の職場を考え直す機会にもなりますしとてもよい経験となりました。妻や子ども達も楽しかったようです。ほ◯かわ先生どうもありがとうございました!!

そして昨日8月12日は高校生の最後の夏に起きた悲惨な航空機事故の日でした。大学受験を翌年に控えた夏休みの1日を大阪大学の図書館で勉強をして(?)過ごし、閉館とともに帰宅をしたときに、羽田空港発の大阪行きJAL123便がレーダーから消えたというテレビのテロップとともに、夜を徹した捜索が行われていることが連続的にテレビで報道されていました。原因については金属疲労による圧力隔壁の損傷により尾翼部分が失われ、されに油圧系統が故障したものであるとされているようですが、いろいろな証拠や証言から、この他にも諸説があるようです。ボーイング社の社内の捜索拒否やアメリカ軍の協力支援を政府が断ったのではないかなどという噂もあり、ネットでは今でも議論があるようです。遺族の方々にとっては忘れられない、悲しい1日であることと思います。高校生であった私もこの事故の衝撃はとても大きかったように思います。いまではボイスレコーダーの会話も公開されており、その当時の機長や副操縦士の方の必死の立て直しの様子も知る事ができますし、小説『沈まぬ太陽』や『クライマーズハイ』はそれなりにリアリティのある名作となっています。また、事故現場からのご遺体の収容、検屍などの確認作業は夏場である事もあり、その身元の特定には困難を極めたようです。群馬県内外の医師や法医学者や歯科医師などが献身的な作業を担われたという事です。上野村の墜落現場には毎年、遺族の登山が行われ、合同慰霊祭が行われているようです。311の震災もそうですが、決して我々が忘れてはいけない歴史のランドマークの一つだと思います。

オリンピックなどの華やかな行事とともに、8月は終戦記念、原爆、御巣鷹山など悲しい出来事を思い出す時期です。お盆のお休みは骨休めとともに、ゆっくりと色々な事を考える貴重な時間(にしたい)です・・・。