京都府与謝郡与謝野町 内科・外科・リハビリテーション科・在宅診療 いとうクリニック

ふくろうくんのブログ

色々な支援策

6月23日 火曜日

「与謝野飲食店応援キャンペーン」なるものが7月に始まるようです。新型コロナウイルス感染症に伴う活動自粛の影響で営業に打撃を被った飲食店の支援という意味合いを込めて行われる事業だと思います。店舗内での飲食に一定の補助を出して消費者に還元する仕組みのようです。自治体のHPを見ると補正予算要求段階であり変更の余地があると書いてありますがどんなお店がエントリーされるのか楽しみです(町長が有線TVで各種の取り組みについて説明をなさったとのことですが、小生は見逃してしまいました。町の公式Youtubeで視聴ができると書いてありましたが、行き当たらなかった・・わたしの検索努力不足かも)。店舗で食べることはまだまだ抵抗があるかもしれませんが、家族などの少人数で、まずは行ってみるのも良いかもしれません。テイクアウトも並行で行なっているお店もあるようですので引き続き利用したいと思っています!

そう言えば・・・はじめて知ったことなのですが、フクロウはそもそも結構足が長いのだそうです。うちのロゴマークにもなっているのです(そ、ペンギンではないのですゾ)。このロゴについては、事実と異なるフェイクである!!という彼らからのクレームがついていることと思います。けど、訂正するつもりありませんので、猛禽類の皆様におかれましては悪しからず・・・。

野球始まる

6月22日 月曜日

先日テレビをつけるとプロ野球の試合が放映されていました。そう言えば患者さんが、「野球もないし、パチンコ屋さんもしまっているし」みたいなことを仰っていたことを思い出しました。選手やファンには待ちに待った開幕となるのでしょう。しばらく見ていたのですが、無観客試合のようで、座席には観客の写真パネルみたいなものが並べられており、随分と趣の異なるものになっていました。当然観客席からの応援や拍手もなく、静かな中に選手の声や打球音などがこだまするだけでした。キャッチャーミットに収まる投球音や気持ちの良い打球音を聞くことができるのも、今の状況ならではです。個人的にはこの雰囲気は好きでした。選手にとってのやりがいはまた別なのでしょうけれど。しかし、緊張しやすく、観客の声援や特にヤジなどが気になって集中力が削がれてしまう選手にはこの状況は有利かもしれません。逆に、声援を味方につけると普段以上の力が発揮できるタイプの選手には不利な設定です。そう考えると、例年とは違う選手成績になるのかもしれないですね〜。球団順位や個人成績がシーズン終了後にどうなるのか見ものです。

では新しい一週間の始まりです。みなさんお元気でお過ごしください。

外来診療の極意を考える

6月21日 日曜日

晴れている。今日は夏至の日でもあり、これから日一日と日照時間が短くなっていくという現実に皆は気付いるのであろうか。知られていそうで知らないこと結構あるな。もちろん私だけが気付いていないこともたくさんあることは言うまでもない。突然だが、我々の業界用語に「不定愁訴」と呼ばれるものがある。難病情報センターのウェブサイトにはこうある→用語:愁訴(しゅうそ) 患者の自覚的訴えのこと。その中心的なものを主訴といいます。明確な器質的疾患がないのに、さまざまな自覚症状を訴える状態を不定愁訴と言うことがありますが、好ましい用語ではありません(引用終わり)。要は、病気とは思えないのに、ごちゃごちゃとした訴えがなされることを評した、ちょっとした差別的解釈を含むスラングのようなものである。病気ではないのに、というのがミソなのだが、病気ではないと言い切るには病気の診断が正確にできないといけないのである。病気でないことを証明するためには、相当根気のいる作業が必要となる。悪魔の証明とも言われることがある”存在しないこと”の証明は、非常に困難なのである。そのためには、リストアップされてくる病気の可能性を全て潰していくほかないのだ。それ以前に、まずは可能性のある病気を全て列挙できることが必要である。そのような、根気の必要な作業が完遂できて初めて、その訴えが「不定愁訴である」と言えることになる。そんな患者さんが外来に一人でも来られると、脳みそをグルグル回しながら対応せねばならないので大変だ。時間とアタマと労力を使って、何もないことを証明するのである。残るものは・・・処方箋も処置も何もない「ということで、それではまた・・」という挨拶のみである。しかしその後も、あれはその結論でよかったのだろうか・・・?もしも〇〇だったらという疑念は頭を離れることはない。外来診療医とはまことに難儀なお仕事である。そんな時に、少し前の時期ならば、「昨日から、目がしょぼしょぼして痒くって、くしゃみが止まらず、鼻がズルズルなんです」なんていう患者さんが来られたなら・・・おーなんと単純な一発診断で、処方も簡単な患者さんが来てくれたことだろう、とホッと胸をなでおろすこととなる。だがしかし・・・である、みなさんもお気付きのこのようなアレルギー性鼻炎、いわゆる花粉症という疾患も、今では万人の知るところとなっているのだが、本当にそんなシンプルな診療で良いのだろうか。と、時々自問自答している。本当はきっと、そんな単純なことで済ましてはいけないのだろうと思う。現在では、アレルギーの薬は本当にたくさんあって、第一世代から第三世代までの抗ヒスタミン剤が群雄割拠しているのだ。患者さんたちも知ったもので、直接薬品名を指定して来られる場合も少なくないのである。抗ヒスタミン剤は副作用の出現に個人差があるので、正直言って実際に服用して見なければどういう評価になるのかはわからないと思う。誤解を恐れずに言えば、医師の方も逆ロシアンルーレットをするような気持ちで処方しているのようなものである。私はそこには医療の本質はないかもしれないと考えている。薬剤に頼る前に、花粉の暴露を避けることや、日常生活で気をつけるべきこと、あるいは処方薬をいかにうまく使用するのかということにも、もっと注目されても良いし、より多くの診療時間を割くべきであると思う。特に鼻炎を主症状とする花粉症の場合には、外用剤の使用が内服薬の副作用を避けるためには非常に重要であると思うのだが、外用剤がうまく使用できずに毛嫌いされている傾向は否めない。内服薬の副作用は何と言っても眠気であろう。単なる眠気なのであれば、夜に飲む場合など、睡眠薬がわりにでもなろうものであるが、この場合の眠気とはいわゆる朦朧とする認知能力の低下を伴うようなものなので、有害極まりないのである。うまくコントロールできない花粉症の場合に陥りがちな、薬剤のとっかえひっかえ状況に陥る前に、今一度先ほど述べたような事について、主治医として介入すべきなのである。糖尿病でも同じようなことが言えると思う。血糖値が下がらない、あるいは逆に上昇して来て状況が悪化している際に、まず考えるべきことは生活習慣の改善である。安易に薬剤で対応しようとしても、一時的にはよくなるかもしれないが、時間が経てばまた8割方の患者さんでは同様に血糖上昇の憂き目に遭うこととなる。医師は口が商売であるという小生の考え方は、そいういうところに因果を見出しているということだ(偉そうに…すみません)。

“13th amendment”

6月20日 土曜日

今日明日は晴れるようです。世間では徐々に、活動や移動の制限を解除するという雰囲気になってきています。一方でサンプル的に行われている抗体検査では、予測されているほどの陽性保有率ではないようだという報道もあります。中国からの報告では、一旦獲得した抗体価が経時的に低下してきているというのもありますから、まだまだ油断ができない現状です。欧米の各国に比べて、日本で感染拡大が一定のところで止まったのはどういうファクターがあったからなのか、まだまだ解明されていないことが多いと感じています。海の向こう、アメリカではまだまだBLMのボードを掲げてデモが行われているようです。大統領の振る舞いに元国防長官が衝撃的な批判をしているというニュースもあり、彼の再選に暗雲が立ち込めているようです。最近Netflixで「13th 憲法修正第13条」というタイトルの作品を見ました(まだ途中ですが)。(アフリカ系アメリカ人の)犯罪者には奴隷や苦役を課しても良いとも判断される根拠となった、いわゆる憲法第13条に挿入された修正の一文がテーマとなっています。ウォッチリストに入れておいたのを、小田嶋隆さんのコラムを読んで刺激を受けてみてみたのですが・・確かになかなか集中力がないとみ切れないのですよね。十分に時間のある時にもう一度みてみようと思います。

ちょっと検索、ナショナルアーカイブズに出ていた原本のようです。

そういえば・・最近アマゾンでちくま書房の電子本が安売りセールをしていることを教えてもらいました。確かにめちゃくちゃ安いので、新書を手当たり次第に買ってしまった私です。

========Breaking News=========

昨日の夜・・・裏の田んぼで何かが起こっているようだ!?

 

モヤモヤしてる

6月19日 金曜日

九州では大雨警報が出ているそうです。週末はお天気マークがついているようですが、しばらくは雨模様なのでしょう。今日は?ってなるニュースがありました。某自治体で強力にコロナウイルスワクチンの開発が進められているようなのですが、早速に第一段階の臨床試験を行うとのことです。対象者は医療機関従事者とのことでした。なんで医療従事者に?など、SNSでは色々な意見が飛び交っているようです。こういうことは純粋に科学的な検証が必要なのですから、あまり政治マターとして強調しすぎないほうがよろしいかと思います。変な力学が働いて、データの信憑性に傷がついてはいけません。自治体首長さんも力が入るのはわかるのですけど、これはそっとしておいて、純粋に医学の領域に任せておいたほうが良いでしょう。そういえば急がば回れという言葉がありますね。東京でも感染はまだくすぶり続けているようですし、大雨の心配もありますし、まだまだ落ち着かない気持ちがしています。時代のスピードについていけていないな〜。CIAMSだな、これ。最近は自院のこれからの対応策のことで頭の中が半分くらい占められています。昨日自分で自分に打った予防注射の影響かな・・・結構体がだるい今朝のワタクシです。みなさんにとっては良い一日になりますように!

気持ち良さそ・・(今は感染対策で、待合室に陳列していないのですが・・院内購読雑誌の表紙の絵拝借しました ぶんしゅん砲いうやつですニャ)

ワクチンはこれです↓ Shinglesっていう呼び名があること知らなかった・・

https://www.medscape.com/viewarticle/907686

再開後のことなど

6月18日 木曜日

活動自粛から小中高校が再開となり久しいです。往診の時などに学校のグラウンドの横を走るのですけど、生徒さんたちが部活や体育の授業を受けている風景を信号待ちの時などにぼんやり眺めています。今年はせっかくの夏休みが短くなりそうですが、それはそれで振り返ると思い出の一つとなるのでもあろうと思います。塩素水を噴霧したり、フェイスガードをつけさせたり、マスクの色を指定したり・・というような「?」も耳にすることはありますが、大半の学校では平穏に授業や学校活動が行われていることでしょう。新一年生さんたちもすんなり学校に馴染んでくれると良いなと思います。ガンバレ子どもたち!

校内での感染症対策については、各校でそれぞれ悩みながら対応されていると聞いています。教育関係に詳しい方にお聞きすると、先生たちは朝から或いは1日の終わりに1時間かけて教室やロッカーをアルコール消毒しておられるとのことです。学校の先生ってほんと何から何まで「させられる」のだなと感じました。本来は授業の準備や、課題づくりなどに十分な時間を確保してあげて、清掃や消毒は別の担当者が行うべきですね。義務教育の場合には特に自治体に配慮するようにお願いしたいところです。

真に受ける

6月17日 水曜日

真に受ける・・今の私のキャッチコピーです。

開業医、毎日外来診療を預かる身として患者さんと相対してまず行うことは、患者さんの訴えを聞くことです。医学部で勉強する診断学とか症候学とかに出てくる言葉以外にも、それはもう本当に色々な訴えがあるものです。私の一番苦手な訴えの筆頭は「えらいんです」です。えらい・・わかりますよ、もちろん。でもそれの言葉の背景を掘り下げると、それは例えば、息苦しいであったり、吐き気を感ずるであったり、腹部膨満感だとかめまいふらつきだったりするのです。それを各自それぞれの基準でひとこと「先生、えらいんです」という表現になるわけなのです。えらいんですに続くさらなる問診によって、病気の可能性をどんどんと絞り込んでいく作業・・特に聴力低下のあるご高齢の患者さんなどの場合にはとりわけ困難なものとなっていきます。若い方でも、しんどいのでぐったりとされているのか、あまり症状を詳しく述べることができない場合も結構苦労します。診察手技だけで、問診なく正当な診断に漕ぎ着けることは困難なのです。なので、病院では症状とそれが生じた時間経過をなるべく詳しく伝えて頂けると助かります。これと似たようなことかもしれないのですけど、開業医として一番大切なことは何か?折に触れて自問している問いです。今なら、それには「真に受けること」と答えるでしょう。患者さんの訴えをまずは真に受けて一度引き受ける・・ということです。以前に、各患者さんの診察をするたびに一度自分の心をリセットすることが必要だって申し上げたことがあると思うのですけど。それと通底することかもしれません。あることを異常と感ずるセンサーの基準は各個人でまちまちですし、同じ人でもその時の状況によって変わるものだと思います。他人にとっては取るに足らないと感ずることでも、当人にしてみれば重大事案になっているから病院に行くわけです。医師はその方の訴えを、背景や状況やその人の健康観(正常と異常の境界基準)に合わせて聞いていく必要があると思っています。その上で身体的な異常を疑うのであれば、さらなる検査で追求していきますし、身体的異常がないと思われる場合には、その方にそう思わせている原因を探ることになります。毎日毎日こういう作業の繰り返し・・それが開業医のお仕事ですね。感覚的には、階段を一段一段登っては、次にまた降りて、また登って・・・一日が終われば、やっぱり元の場所にいたな・・ジブンって感じです。充実感があるような、でも何も残っていない(全てやり切って元の場所に戻ってる)というのが良いような・・けっこう複雑なおしごとです。多分「ちょっと何言ってるかわかんない」的な内容ですね。

それでは今日もお天気が良さそうなのでがんばって労働することとします。

らしさからの解放

6月16日 火曜日

らしさをのり越えよう! ということが、今の私の関心事です。あなたは〇〇なんだから・・・っていう理由で、何かを諦めたこと、みなさんありませんか? 幸いにして、私はあまりそういうことはなくって、自分のやりたいことをやらせてもらったと思っているのですけど。しかし、実際に子育てをする中で、男の子らしさとか女の子らしさ、ということについて考えたことがない方はほとんどいないのではないかと思います。らしさ・・は何かの規範を示してくれる一方で、一歩踏み出して成長できるチャンスをものにできる時の足枷ともなる、両刃の剣のような呪いの言葉かもしれません。そんなことを考えたのは、ライターの阿部花恵さんの「とんでもプリンセスとドラゴン おわりのないぼうけん」という絵本のブックレビューを読んだことがきっかけです。この童話も秀逸な作品のようですので興味のある方はぜひご一読ください。よく考えると身の回りに色々ありますよね、そんなこと。男の子のランドセルは青い色?女の子のは赤かピンク?とか、男子なのに美術部に所属しているの?とか、女子だから文学部で、男子は工学部に進学する?とか・・。ジェンダーだけではなくて、他にもこういうことは枚挙にいとまがありません。自分の頭に巣食っている、〇〇らしさ・・・これを外す努力をしてみたいと思います。実際の診療でも、固定された概念が診断の邪魔をするということがままあるのですよね。始めに受けた印象からAという病気かなというのが頭に固定化されてしまって、実はBという病気だったのに診断にたどり着くのが遅れてしまうということは一度ならず経験するところです。新しいことや新しい時代はこういった「らしさ」から解放されることで発展していくのではないでしょうか。

今日もなんとなく良いお天気のような雰囲気が漂っています、今のところ。みなさんお元気で、Have a nice day!

 

目には目薬

6月15日 月曜日

昨日の夕方からの土砂降りには驚きました。傘をさして外に出て車に乗り込むまでの瞬間にでも、衣服がずぶ濡れになるくらいの激しい雨でした。温暖化と言われますが、雨の降りかたも変わってきているようです。走って家の中に入りおもむろにパソコンを開けると・・うんともすんとも言いません。なんでかな・・の状態が現在に至っております。う〜ん、また色々な設定とかやり直さないといかんか〜って考えるととても憂鬱です。なので今日はあまり書くことが思いつかず・・

ということで、最近知ったことなのですが、古代バビロンのハムラビ法典の一節です。「目には目を、歯には歯を」というのの真意が実はちょっと自分が思っていたのと違うようです。私だけではなく、一般的にもやられたらやりかえせという意味にとられがちだと思います。実は・・受けたこと以上の復讐はすべきではないということがその真意だそうです。やられたことと同等のことをやり返すというのは、すなわちやられたこと以上の復讐はすべきではないということ。あるいは害を与えるとやがては同じように自分に返ってくるのだから、そもそも人に危害を与えないようにしなさいという含意があるのだそうです。いずれにしても復讐法についての抑制的な概念だったということですかね。知らなかったな〜

では新しい1週間が始まります、今日はこの辺で、梅雨の中休みのsunshineを有効活用しましょう。

新たな概念

6月14日 日曜日

うっとおしいお天気が続いています。昨日から今日にかけてフランス・パリの共和国広場が人で埋め尽くされているというたくさんの画像を見ています。BLMの訴えがアメリカからヨーロッパにも飛び火したということでしょうか。平和的な抗議デモとして計画されたものが、投下される催涙弾などによってあたかも暴徒化したような趣に変化していったような印象です。コロナ感染症から人種差別デモ・・一体2020年はどのようなことに落ち着いていくのでしょうか。

さてさて・・・新たに最近知ることになりそうな概念ふたつのお話を少し。一つ目は「CIAMS」シャムズと呼ぶのでしょうか。病理医ヤンデル氏とこの概念の提唱者である国松先生の対談を視聴しました。CIAMS(Covid-19/Coronavirus-induced altered mental status)一言で言うとコロナ騒動に影響を受けて変わってしまった精神状態ということです。普段穏やかなはずの人がちょっとしたことで怒ったり、泣いてしまったりということ経験しませんか?まあ今は人との対話がしづらい状況ですからなかなかわかりにくいかもしれませんね。外来をしていると私はそういうことを結構な頻度で感じています。あるいは変わってしまったのかな?と推測せざるを得ないような初診患者さんもいます(初診なので変わる前を知らないわけです)。世の中がどんどんと変わっていく、テレビでは変わらないと死ぬ!みたいな伝え方をされる。医者がでてきてこれもダメ、あれもダメという。知らずと精神状態が不安定になっていくのですね。こんな変化のスピードについていくことができないだけならまだ良いのですが、過剰に適応しようとすることがより危険であると国松医師は言います。私は今振り返ると、医師とて同じではなかったかなと思います。先に述べたような患者さんが、拠り所として病院や診療所にやってくる。その時に、受付にでかでかと貼られた”有熱者は入室せずに待機を”みたいなポスターを目にするのです。まずはそこで軽く頭を殴られたような気持になるかもしれません。そして診察室に入ると、対話をしたかった医師が防護メガネにフェイスシールドで出てこられると、そこでもうこれは危急存亡の事態であると最後通告をうけるような気持になるのでしょうかね。だからと言って病院側も自院が感染症伝播の起点になっては困るので一定の感染対策が必要であることはもちろん言うまでもないのですけど。私自身が今回の緊急事態宣言下でいちばん心を砕いたのはまさにその境界線であったのかもしれないなとお二人の対談を聴いて感じました。感染症そのものは確かに恐れなければならないし、細かな対策をいくつも講じるべきだとは思ったのですが、それにより損なわれるかもしれないもの、口で言うのは困難なのですけど、そういったことを恐れて「完全な感染防御マン」になれないでいた(ま、かかったらかかったでしゃーないか・・と思っている自分)のではないかと思います。皆さんも自分の心の中で起きた変化を一度冷静に振り返られてはいかがでしょうか?こういった騒乱の時代には、自分の中に変わらないものを持つことができるということが大切なように思います。

あ、新たな概念の二つ目は・・ちょっと時間が無くなりましたので次回に!

それではお天気は悪いですけど、良い休日をお過ごしください。

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