京都府与謝郡与謝野町 内科・外科・リハビリテーション科・在宅診療 いとうクリニック

ふくろうくんのブログ

顔の見える関係

3月13日 水曜日 あめ

久しぶりの更新です(私の性格からして、いまだに更新が続いているのが奇跡なくらいなのですが)。先週末の土曜日には地域のコミュニティセンター(知遊館というところです・・・間違えて最初は魚っち館に行ってしまいましたが)で地域医療を推進するための施設関連携のシンポジウムに参加してきました。日頃お世話になっている方々や、滅多にお目にかかる事はないのですがお会いしておきたかった方々などもおられて、大変有意義な時間を過ごす事ができました。在宅医療って本当に多くの職種の方々が関わっているのだなあと再認識しました。講演を賜った市内の在宅専門クリニックの先生曰く『在宅/地域連携がスムースに行えるキーワードは顔の見える関係をいかに構築するかです』って仰っていましたが、本当にその通りだなあと実感。これからもこの事を肝に銘じて色々なアプローチをしていこうかなと考えたひとときでありました。

Wbc

日本はなかなか調子が良いようですね。がんばれ糸井選手!!

生活習慣病という名の誤謬

3月5日 火曜日 晴れ〜!!

何かフォントが変わっているような気もしますが、気にせず今日の話題です。たまには医学関連のネタっていうことで、生活習慣病です。昔はたしか三大成人病というネーミングで、がん・心臓病・脳卒中ということがよく言われたように思いますが、いまでは生活習慣に密接している疾患という事で、高血圧症・脂質異常症・糖尿病の三つに取って代わっているのですね。当院でも患者さんの3分の2くらいはそのどれかの疾患と関わりのある方がおられるような気がします。これらの疾患に共通する事はやはり血管病変に伴うイベントが起こりうるという事でしょうか。ともすると、診察の時にはコレステロールや血糖値の数字だけを相手にしてしまうのですが、病気を治療するという事の目的を誤ってはなりません。コレステロールがいくら高くても、将来命に関わる事がないのであれば、それほど憂うに値するものではないわけです。動脈硬化がやがてひいては心臓や脳の血管を詰まらせたり、破壊したりする可能性があるから気をつけましょうということなのですね。そこに着目する事なしに数字だけに固執して目的を見失っては本末転倒です。本末転倒ということで言えば、生活習慣病って言う名前、何となく皆さん誤解してませんか・・・?生活習慣が悪かったからその病気になってしまったんですよ、というのがその由来ではなくって、生活習慣を改善する事で良くする事ができる病気なんですよ!!っていうのがその名前の意味です、ハイ。そもそも同じ生活習慣でも病気にかかる人とかからない人がいるわけですので、自分の生活習慣が悪かったんだなあって卑下する必要はこれっぽっちもありません。なので・・明日からは視点を変えて前向きにいきましょう。

今日の夜の本

きょうはどっちか行きます!幕末ものにかなりハマっています。やはり歴史のダイナミズムはこの時代ですね。順に現代まで遡って、お勉強してみようかなと思っています。新撰組・・世の人々は、近藤派と土方派、どちらが多いのかな?ただひたすら会津藩や幕府との忠義に生きた土方氏と、時代に翻弄されながらも武士の心を忘れずにしかし時には政にも思いを致す近藤氏、私はどちらかというと前者のような生き方に興味を持ちますね。あるいは沖田総司のように飄々としてあっけらかんとした好青年?も良いです。でも彼らって教科書にはほとんど出て来ないんですよね・・。

ビールも注ぎに来ないやつ?!

3月3日 日曜日 曇り

ボーッとしているうちにすでに3月。まだまだ雪が散らついていますが、春はそこまでやってきています(たぶん)。年度末は人事異動に伴う送別会など宴会のシーズンでもあります。元の職場からもありがたい事に時々お声をかけて頂きます。なじみのお顔が去って行かれるのは本当に寂しいものがありますが、また新たな出会いもあることでしょう。えーっと、タイトルに関する事なのですが・・小生がおそらくよく言われているであろう事なのですね(実際に聞いた事はありませんが、たぶん)。お目当ての人の挙動をウォッチしながら、周りに人がいなくなった頃合いを見計らって、ヨイショとビール瓶片手に腰を上げて・・・と、想像しただけで面倒くさくって頭がクラクラします(少々大げさですが)。それなのでついつい、もういいやって省略してしまうのです。そもそもこの手の陰口には、上下関係というか主従関係というか、イコールではない関係性がベースにあるわけでして、それも私の腰を重くする原因なのですね・・。あいつと話をしたいなと思うのなら何も控えめにして待ってるのではなく、自分から行けば良いわけですし、ビールを注ぎにくるかどうかでその人物を判断するというのも、なんだかわかり易すぎて浅いなーって思うのです。自分がそう考えるからか、宴会で後輩が挨拶に来なくっても、私は全く気にならないのです。帰り間際に顔合わせても、おう来とったんかいな・・で終わり。だからといって挨拶しなくても良いなんて考えているわけでは決してないのですが、とにかく主従関係とか上下関係をあまり意識する事無く普段過ごしたいなあと考えているのです。何でこんな話題を思いついたんだろう・・・そうそう、一主権国家の総理大臣がころりころりと変わるごとに政府専用機でノコノコと出かけて行って米国大統領とニコニコしながら握手をしているところをパチリ・・・毎度この写真を新聞一面で見る度に少し憂鬱な気分になっていることに気づいたからなのでした。わざわざビール注ぎに行くのやめて、たまには焦らしてやっては如何?

トンネル開通

ようやく開通しましたね。千代原口交差点の立体道路。いったいどのくらいの期間がかかったのでしょうか?たまたま開通初日に通過しましたが、やはり出口混雑のシグナル・・でも結構時間短縮されましたよ。

サーカディアンリズムとゆとり

2月23日 土曜日 雪

目覚めて一番にすることがブラインドを少し上げて外を眺めること・・になって久しい。今日も屋根が真っ白なので飛び起きて、完全防備を整えていざ屋外へ出たが、意外にも地面は昨夜からの雪解け水のせいか大して積もってはいなかった。・・・ということで余った時間をここに費やしている。

先日睡眠についてのレクチャーをうかがう機会があった。実臨床にはあまり多くのプラスアルファはなかったが(すみません〇〇先生)大変考えさせられる事が多い実りあるお話であった(実はこういう実益の少ない話を聞くのもとても重要だと日々考えている)。眠りは一般的には脳機能の休養であると捉えられがちであるが、確かに大脳皮質の細胞活動は低下しているのだが、ある部分(海馬とかだったかな?)は活発に神経活動を行っているそうである。皮質を休ませている間に、その日の記憶を整理したり、脳機能全体のメンテナンスをしているんだそうだ。一昔前のウィンドウズでよくデフラグとかやっていたと思うのだが、そいういったことに似ているなあと思った。寝ている間に日中の記憶の整理をしてくれる”もうひとりの?自分”がいるようで何か不思議!!本当は睡眠のリズム(日内変動あるいはサーカディアンリズムなどというらしい)は24時間サイクルよりすこし長い目に設定されているのだが、充分な睡眠を取る事によって、起床時にゼロにリセットされるようになっているらしい(なので睡眠不足が続いても一日充分な睡眠を取る事で翌朝すっきりと目覚められるのかな?)。そしてそのリズムの維持にお日様の光を浴びるという事がとても重要なのである。地球の自転の周期と人間の日内リズム・・・何てよくできたお話なのでしょうか。七曜制だってそれぞれの惑星に呼応しているわけですし、これまた1週間のリズムもとてもよくできているなあと思うわけである。つい一年くらい前から土曜日も勤務するということに変わったのであるが、慣れるのにとても長い時間がかかった事を覚えている。身に付いた習慣を変えるということは、事ほどさように難しいものなのである。そういえば子供達もいずれ週休二日制からまた日曜休日制に変わるのであろう。ゆとり教育の弊害が叫ばれて久しい。ゆとり世代・・・今の中学生から20歳代半ばくらいの方達を指すそうだが、そういわれるとあまり良い気はしないだろうなあと思う。制度が悪いということは、とりもなおさず出来上がったものが良くないという事に呼応するからである。めっちゃよく売れている雑誌の編集過程を変えようとする出版社はないであろう。同様に、飛ぶような売れ行きのお菓子の製造過程を見なおしましょうなどという経営者はおられないでしょう。作り出す過程を見直しましょうということはやはり、大なり小なりその結果にネガティブな評価がくだされているわけである。私なら・・・怒る!コミュニケーション能力の低下ですって??今のおじさんやおばさんたち(私も含めてですが)そんなに人付き合いうまくいってますか・・・ちょっと議論が飛躍しすぎてるような気もして来たので・・・今日はこの辺りで。

デフラグ

初期化したパソコン〜そして十分なメモリー・・・な状態(のはず)の今朝です。変なウイルスのアタックに負けないように・・・頑張りましょう。

高度成長の代償

2月19日 火曜日 くもり

中国の大気汚染の報道が喧しいです。そういえば子供の頃に小学校などで『光化学スモッグ警報』がたびたび出て、屋外での体育ができなくなったりした事があったなあと思い出します。空気中をとんでいる有害の粒子は、その化学的性質の有害さもさることながら、粒子の大きさがとても小さいということも問題であるようです。小さいので吸い込むと細かな気管支の枝の奥の方にまで入って行って目詰まりを起こすという事なのでしょうね。原因と対策への調査が望まれます。そういえばスモッグという言葉、何気なく使っていましたがスモーク(smoke)とフォグ(fog)を組み合わせた言葉らしいです。幼稚園の作業時に着ていたのも通称スモッグでした・・こちらはどいういう成り立ちなのかな・・・。

Shinsengumi

今のところ、土方歳三はただの暴れん坊の不良少年です・・・。昔からあまり新撰組ものにはシンパシーを感ずるところはなかったのですが、さてどういう展開となるでしょうか。

体育会系という言葉の裏側

2月13日 水曜日 やはり雨

気温は思ったより下がらなかったですね(ですか?・・・何となく吉本のギャグのような感じですが)。女子柔道のことが院内でとっている週刊誌に載っていました。ずっと何となく気になっていた話題ではあったのですが、体罰の問題とかとともに昨今クローズアップされています。ともすれば、テレビなどではコーチ一人が、あるいは指導者側が糾弾されて終わり・・になってしまいがちな論調なのですが、この問題の根っこは我々の何気ない気持ちの中にも存在しているのではないかと思っています。大学の時には何のクラブをされていたのですか?えっ、体育会系ですか?すごいですねえ〜という何気のない会話(ですが、よく耳にします)にも、何となく私たちの潜在意識が潜んでいます。[そんな、厳しい世界に耐えて来られたんですね・・]あるいは、就職活動でも体育会系で鍛えられた学生は、中途半端に成績の良い学生よりも就職が有利であるとも聞きます。そんな厳しい世界でやって来られたのですねえ、という言葉の裏側には、そういった世界への賛美が少なからずも込められているし、厳しい事を耐え抜いて来る事ができなかった人へのいわば差別のような意識が包含されているように思います(あ、体育会系イコール体罰ではもちろんないわけですが・・あくまでも抽象論としてお聞きください)。とにかく、この世はできた人への賛美と裏側に、できなかった人への配慮が失われた世界になってはいないかなと思うわけです。開院当初にある中学生の女の子がクリニックを訪れました。一年生になりたてのその女の子は、小ちゃくて、牛乳を飲むのが大の苦手で、所属している某文化部では、結構厳しい練習を強いられていて・・。心の中で『がんばれよ〜』って思ったのを覚えています。その後彼女を見かける事はないので、きっとたくましく中学生生活を楽しんでいる事と思いますが・・・。弱肉強食、自由競争のこの社会ではありますが、できる人を讃える事と共に、できない人へのエールをしっかりと送りたいものだなあと感じる今日この頃であります、マル。

いたみjuzo

今日はこれで過ごす事としましょう(^-^)

地雷を踏んだらさようなら・・

2月12日 火曜日 しとしと雨

日曜日の午後は撮り溜めておいたテレビ番組の録画を見ました。本名アンドレ・フリードマン、ロバートキャパと言えば何人かは頷くであろう戦場カメラマン(報道写真家というのが良いのでしょうか)のノンフィクションものでした。少し前の文芸春秋でしょうか、作家の沢木耕太郎さんがロバートキャパの写真について一遍の論文を掲載されている事は知っていたのですが、たまたま数週間後にそのおそらく関連であろうと思われるタイトルのドキュメンタリー番組を流すという事でした。キャパを一躍有名にした『崩れ落ちる兵士』というスペイン戦争の時に撮られたという一枚の写真をめぐる番組で、流れとしてはその写真が真に彼の手で撮影されたものなのかどうか?という疑問から始まるのです。事の真相もさることながら、彼の運命(あの史上もっとも激しい応酬であったとされるノルマンディー上陸作戦に従軍し撮影に挑んでいます)やベトナム戦争で地雷にやられて迎えた最期に至るまでの人生に、長い目でスポットライトを当てた興味深い番組でした。従軍カメラマンという一種芸術家のように数奇な運命を歩む事を余儀なくされた、何となく切なく哀しい彼の足跡にとても興味を惹かれるものがあります。それでいて彼の著作『Slightly out of focus(ちょっとピンぼけという邦題)』は非常にユーモアやウィットにとんだ名著のようです。この1週間はこれにはまりそうです。

キャパ

ちなみにタイトルは、日本のカメラマンで同じく戦場でなくなった一ノ瀬泰造さんの有名な一節です。現代に住む私たちが彼らの作品や生き様から学ぶべき事とは・・・考えさせられます。

予防できること

2月6日 水曜日 雨

相変わらずばたばたとした1日です。果たして自分の持っている力がすべての患者さんに有効に使えたのかどうか・・・はなはだ疑問なものです。もっと努力しなければなりません・・。

ヘルペス 予期せぬ時にやってきます、ね、Nさん。帯状疱疹という病気なのですが、これはもともと子供の頃にかかる水ぼうそうという病気にその原因を遡らねばなりません。そのウイルスは、治ったあとも脊髄神経根という場所に潜んでおります。そもそも脊髄脳関門と呼ばれるバリアの機構で、その部位にはウイルスを退治する抗体の効果が及ばないために、ウイルス達はぬくぬくと安住の地をそこに定めておるわけです。そして、何十年か後に活動して、痛みを伴う水疱(水ぶくれ)を生じてくるのですね。一旦活動を再開すると神経に沿って活性化するので、いわゆる神経痛を伴う非常に辛い病気を引き起こす事となります。ちなみに口の周りにできるヘルペスはこれとは種類を異にするもので、同じヘルペスでも違う病気であります。そもそも水ぼうそうにかかる事がなければこの病気に悩まされる事はありません。水ぼうそうワクチンでそれを予防する事ができます(公費で行われると良いですね)。さらにアメリカでは、その後の帯状疱疹(『ヘルペス』)のワクチン(ZOSTAVAX)も施行されています。もちろん予防接種には功罪があるのではありますが・・・

ユーミンの曲、人気投票がネットで行われていました。私はこれですね。歌い手さんは元ハイファイセットの山本潤子さんです。これがいい・・・!

ジキル博士とハイド氏の教えてくれること

2月5日 火曜日 天気はハテナ

外来を集中してこなす事がときに難しいのである。時間が限られている事がかえすがえすも腹立たしい。これを成し遂げるにはかなりの集中力が必要である。集中力がないのを嘆いて、それを克服するには集中力が必要である・・何とも論理的に崩壊していると思う、我ながら。しかし日常を過ごすという事はこういう事の連続なのではないかなあと、ふと考える事がある。”ダブルバインド”・・・心理学で言うこの物事の現象はつまり『あちらを立てればこちらが立たず』というような事になるのであろうか?人間として日常を生きるということは、こういう事に自分なりの折り合いを付けながらまあなんとかやっていくという作業の事であろう。これに耐えられずに、利口と野蛮を切り離してしまったジキル博士とハイド氏はやがて破綻していったのである。旨い方策などはない、と考えておくのが正しい。それでも皆、何とか頑張っているのだ。頑張った人が報われる国を作る前に、まずは、みんなが頑張れる社会を作ってほしいなーと思うのだが、おなじような事考えてる人は・・・見回してもあまりいなさそうである。

スカイツリー

東京からの帰り道、『あ、そういえばスカイツリーってみんな行く場所だよな』と思いながらタクシーの窓からきょろきょろすると・・・見えましたよ。どれかわかります?先っちょだけちょこっと見えてます。せっかく東京に行ってるのに〜??だって、全く興味がないんですよね〜こういうのに。

あしたはまた雪だるまマークが丹後半島に踊っています。早めに就寝して明日に備えましょう!!doki doki – waku waku 

根源的な問題?

2月4日 月曜日 立春

柔道の選手が柔道連盟に訴え出たというニュースが流れていました。告発の文書はそれはそれで考えさせられるもっともな内容なのですが、これは私たち全員の心に問いかけねばならない問題であるように思いました。ニュースや新聞の報道では、あたかも柔道連盟やオリンピック連盟などに対する疑問符で語られているのですが、そんな事を言えた立場なのかなと思う点もあります。ジャーナリストの江川紹子さんは仰っています。『報道関係者は柔道の取材をしてきた過程で、大なり小なり今回の問題についてはわかっていた筈である』と。確かに仰る通りのように思います。薄々?気づいていた筈なのに、それを取り上げて問題視しようとする取材者は皆無であったという事なのではないでしょうか?まあ、それはさておき、強者(この場合は指導者である)の弱者に対するこのような対応はそこかしこに潜んでいるように思います。学校での体罰問題も然り、いじめ問題も然り、胸に手を当てて良く考えてみると、我々医師だって患者さんに対してこういう姿勢で接する部分は多々あったのではないかと思います。いわゆるパターナリズムと呼ばれる医師–患者関係ですね。とにかく、今回の事は単に柔道の世界の事だけにしてしまうのではなく、ひとりびとりの問題として考える良い機会なのではないかなあと思う今日のニュースでありました。

DM食

日曜日は東京で糖尿病のセミナーに参加してきました。食事は三食とも糖尿病食のデモンストレーションの体験です。一見豪華に見えるのですが何とこれで500キロカロリー強です。根菜や野菜を工夫して調理に生かすのが一つのミソのようです。ま、毎日これだけ手の込んだ調理方法ができるかと言えばかなりハードルは高いかもしれません・・・。

そういえば、糖尿病の患者さんだってそうですね。自分のご病気について医師が思うほどすんなりとすべてを受け入れられるのは難しいと思います。それを頭ごなしに叱るという態度で接するばかりではあまりにも能がないというものです。患者さんはクリニックに来られるまで、不安・恐れ・逡巡しながら足を運ばれるわけです。そんなお気持ちを斟酌できない我々ではいけません・・・。反省!

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