9月12日 木曜日
昨日もこうして文字を書いているのにどうして思い出さなかったのだろう。「9月11日」米国同時多発テロと呼ばれる事件のことを。まさにWTCビルが倒壊していくのを、CNNのライブを見ていたのは、ちょうど京都の某病院で当直業務についていた夜のことである。救急患者の途切れた時間に、ごく短時間でシャワーをすませて手術衣(パジャマがわりに着るものです)に着替え、苦いだけのインスタントコーヒーをすすりながら。当時私は博士論文の仕上げに毎日当直の日にも原稿を持ち込んで作業をしていたのだが、その日ばかりは一晩中テレビに眼が釘付けとなったことを覚えている。アメリカへの留学を翌年4月に控えていたこともあり、いったいこの先どうなるのだろうと思ったものである。あれから12年、9月11日という日付を打ち込みながら、何も考えていなかった自身の忘れっぽさに驚いた。空港でのセキュリティーチェックに長蛇の列ができたことや、米国への入国審査に日本人もフィンガープリントと顔写真の撮影を強制されることになったのも、911がきっかけである。中東アラブの人々はいわれなき偏見や差別を経験した忌むべき事件である。喉元過ぎれば熱さを忘る。東京五輪が決定し、世は経済効果何百億円だとか、絆とか協力とか浮かれているが、忘れてはいけないのだ。今もプレハブ小屋に住まわざるを得ない人々や、来る日も来る日も線量計測を行うためだけに魚を捕り続けなくてはいけない漁師さんたちがいることや、今もなお見るも無惨な「建屋」にぶら下がりつづける千本以上の放射性物質を含んだ燃料棒がある4号機のことなどを。お祭り気分に水を差すつもりはないが、景気回復と・スポーツと・復興とは根底的には別個の問題なのである。
一つのことが起こると前のことが忘れ去られ、君もこうしろよという同調圧力がかかりやすい国ニッポン。陰気な投稿でスミマセン・・・