1月3日 日曜日

録りだめている番組をいくつか観た。NHKの100分で名著と日曜深夜にやっているNNNドキュメントはすべて予約録画にしているのだ。年末のドキュメントはコロナの特集だった。京都の病院が取材されており、先輩や後輩が出ていた。阪大ビケンのワクチン開発の模様や(迅速さで一日の長のあるmRNAワクチンとは別の視点で、彼らはVLPというアプローチでの研究開発に取り組んでいる)、高知の大学一年生の生活の様子などが映し出されていた。それぞれの人間ドラマでもあった。録っておいてよかったなと思った。100分で・・の題材は、岸政彦先生のガイドするディスタンクシオンである。ディスタンクシオンってなんかガンダムに出てくる言葉みたいだなと思っていたのだが、それはフランス語で、英語で言うところのディスティンクションなのだってことに初めて気づいた。岸先生との初めての出会いは5年前である。三条の大垣書店の社会学とかを扱った小さなコーナーに縦に置かれていたものをたまたまレジに並んでいるときに手に取ってみたのだ。『断片的なものの社会学』。のちに新聞の書評で評価が高いものであることを知った。エッセイのような私の社会学の教科書でもある。番組はとても難解なブルデューの著書をわかりやすくまとめられていた(原作を読んでいない私がこんなことをいうのはかなり変であるが・・紹介サイトにはそう書いてある)。心に残った言葉をいくつか・・・『人間は自分を正当化する倫理を選びがちである』。ともすると社会は自己責任論としてものごとを片付けがちであるけれど、そして理屈としてはそれはおそらく正しいのだけれど、その規範となる倫理は実はその人たちがそれぞれ恣意的に選んだものが採用されているのだなと理解した。社会学は自己責任とされる現象を『それはその人のせいじゃないんじゃない?と問いかける作業を続けているのです』ということらしい。それを知ったからといって、具体的に誰かが癒されたり、救われたりすることではないのだけれども、そういう社会の裏側とか基盤になっているような仕組みを世に問いかける作業というのは、大きな目で見るとひとびとを幸せにするやさしいまなざしなのかもしれないと思った。番組では世の中からドロップアウトする人たちのこととかについて述べられていた。こんなこと言っては失礼なのだけど、中学時代に吹き荒れた校内暴力の現場で、もともと仲の良かった友達が急速に額に剃刀を入れたり、独特の座り方で授業が始まっても校庭の隅でたむろしていたり、果てはパトカー数台が構内に入ってきて物々しい雰囲気になったこととかが思い出された。彼らは今どこで何をしているのだろう?当時の私は、彼らとも一応仲良くやりながら、先生からは、でもお前は違うよな・・と思われるような小賢しい存在であったと思う。彼らの気持ちはよくわかったのだけれど、もう少し違うやり方があるやろ・・と感じていた。その違うやり方を見出せていたら、彼らの人生もまた別のものになっていたのかもしれない(いまどうなのか知らないけど)。もう一つの現実がどうであったのか?やってみないことには誰もわからないのである。だから小説はパラレルワールドを描きたくなるのだろう。なぜか視聴後に思い出した奥さんの昔の一言・・・『文系の人どおしの喧嘩はややこしい』。なんで思い出したのかよくわからないし、どういう文脈で聞いたのかも思い出せないのだけれど・・・。さてと・・・明日から平常通りの仕事に復帰できるように今日1日を過ごすことにしよっと。ほな!