7月9日 火曜日 真夏日
先日高校の一年上の先輩からメールを頂戴した。その先輩は僕が入学したとき(先輩は2年生)には、僕の方から見下ろす感じであったのだが、卒業する頃には遥かに先輩のことを見上げるまでに成長なさっており、おそらく高校3年間で30センチほど身長が伸びておられたのではないかと思う。もうその頃から30年もの歳月が経過したのだなあと何となく感慨に耽っていて、ふと30年前は何をしていたのだろうか、どんな出来事があったのだろうかと考え調べてみた。もちろんまだ携帯も電子メールも無かったし、インターネットなどもおそらく生まれる前であったろう。自家用車のドアミラーはボンネットの両端にちょこんと付いていたし、プラザ合意前の為替レートは、1ドル200円を優に超えていたと思う。入学した1983年は前年度に発足した中曽根政権の2年目で、自民党の代議士であった中川一郎氏の自殺で年が明けている。のちに人気テレビ番組となったTVジョッキーが始まり、青木功が日本人で初めてアメリカゴルフツアーで優勝を飾ったのもその年である。冷戦構造まっ只中の米ソ対立にあって、レーガン大統領は一般教書演説で、ソビエトを名指しして悪の帝国と発言していた。アクエリアスやカロリーメイトが発売開始となり、NHK朝の連ドラでは国民的人気を博した「おしん」が流れている。悪いニュースとしては、戸塚ヨットスクール事件や、大韓航空機爆破事件などもこの年に起こっている。2年生に進学した年には、あまり大きな事件はなかったようだが、あっという間に3年生となり、一応現役で大学合格を目標にしていた私は、夏休みには毎日大阪大学の石橋キャンパスにあった図書室に通い勉強していたように記憶している。別に図書室で誰かと落ち合うわけでもなく、自宅学習すれば良さそうなものであるのだが、受験生には何となく気分転換が必要なのもご理解頂けるのではないだろうか。リュックにはオレンジ色の「新体系物理」と、赤と白のガリ版刷りのような本文の「大西の有機化学」と、「大学への数学」という、ややオタク系の雑誌が詰め込まれていた(はず)。そんな1985年の夏はあっという間に過ぎる筈であったが、図書室での勉強を終えて「おニャン子クラブ」を見に帰ろうとして帰宅した8月12日の夕方、帰宅後のテレビはテロップで日航機123便の失踪を伝えていた。翌年大学に入学した年は、いわゆるバブル景気の始まりであり、全世界を席巻していったソニーやホンダ、日産などの日本ブランドが、その後隆盛を誇っている。女子大生は彼氏のプレリュードに乗って、恋人はサンタクロースをBGMにマハラジャに通い、ホイチョイプロダクションは原田知世と三上博史を起用して「私をスキーに連れてって」を作り、オッサンはシーマやソアラといった国産高級車を乗り回していた。残念ながら私には、あまりこのような現象のおこぼれに預かる事ができたという記憶がないのだが、何となくウキウキとした時代の流れには乗っかって生きてきたのである。その後はといえば、住専の破綻とともにバブルがはじけ、あれよあれよという間に日本企業はサムスンやヒョンデに置き換わって行った。海外旅行に行けばホンダとトヨタと日産ばっかだったのが、いつの間にか時代は変わったのである。こうしてよくよく考えてみると、私たちの愛国心とは・・・どこの国に行っても目にした日本のトップブランドに象徴されるように、高性能と高い完成度のデザインに象徴される自動車や電気製品に誇りを感じながら生きていたように思われる。そして今、国旗国歌法案や美しい国が声高に叫ばれる中で、我々世代以上の年代の人々がかつて愛国心のよすがを見ていた、今では失われた日本ブランドの中に、日本勃興再びの夢を見ているような気がしてならない。しかしながらよくよく考えてみると、日産はカルロスゴーンに、ソニーはハワードストリンガーにCEOの座を明け渡しているし、ファミリービジネスとして頑張っているトヨタでさえも外国人持ち株比率は30パーセントに到達しようとしているのである。こうなるともう彼らの国籍は日本と呼べるのかどうかすら怪しいものである。それでもなお、我々は、これらの企業をバックアップする事で、あの頃の日本よもう一度とすがりついているようにさえ思われる。しかし既にグローバル企業は国境を越えて、われわれのあずかり知らぬ、異次元のフェーズに突入していると言えよう。もう企業は、終身雇用はしてくれないどころか、非正規雇用の枠を拡大し、あわよくば世界同一賃金などというワードを作り出してその人件費を縮小化しようとしている(ように私には見える)。そして何か気に入らぬ事があると、「ならば我々は日本という国から出て行くぞ」という脅しともとれる言葉を発信しているのである。何も私は、それがいけないと言いたいのではなく、そういう企業を批判したいのでもない。むしろそのような株式会社の振る舞いは至極当然の事であると思っているし、ソニーやトヨタや日産には華々しく活躍をしてほしいものだと願っている。そして日本全体の景気が良くなってほしいものだと心の底から希望している。しかしそれはそれ、目の前の事あるいは国としての政策を考えた時には、やはりグローバル企業の向いている目先とは異なった目線で持って対処してほしいと願っているのもまた事実である。何よりも問題なのは、我々の心が、変わりつつあるグローバル企業の実態から目を背け、或は見て見ぬ振りをして、旧態依然のような経済至上主義を繰り返すことによってしか、現状打破の道はないと考えている事にあるように思えるのである。
長くなってしまった。わかる人にはわかる(?)この写真でしめることにしよう・・・。