9月24日 木曜日 雨

夏休みのあとのお恵みのような連休も終わって今日は朝から雨だった。まあけだるい休み明けはこのくらいの天気がちょうど良いのかもしれない。まずは連休の小生の行動を振り返ってみると・・・あまり大きな出来事もなくのんびり過ごしていたかな。一日は森山良子さんのコンサートに行ってきたのだが、御年まもなく70歳とは思えない声の張りと軽妙なトークにあっという間の3時間弱であった。皆さん楽しみにしていた”ざわわ”もし〜んと静まり張りつめた空気の中で心に染み入るように響いてきた。あらためて歌の持つ表現力を再認識した夜(正確には昼)であった。大げさに言うと国論を二分するような議論の行われた週が明けて、個人的に若干なりとも注視していた小生としては、ぽか〜んとしたどことなく落ち着かない気分だったのだが、十分な重しとして機能してくれたコンサートでした。よかったです(まる)

さとうきび畑

さとうきび畑ってこんななのかな・・・

たまたま手に取った本がとってもおもしろかったのですが・・『捕食者なき世界』っていう、ウィリアム・ソウルゼンバーグというジャーナリストがまとめた著書で、内容は自然界で頂点捕食者たる存在が絶滅すると何が引き起こされるのかという話。北米大陸のオオカミだったり、インドのユキヒョウだったりという食物連鎖の頂点に君臨する王者が駆逐された後に引き起こされた事柄についての物語です。なんとな〜くは耳にしていた事なのですけれど、その議論の歴史は比較的最近にまで続いており、最近ではイエローストーンにオオカミを復活させて自然界の秩序を取り戻すプロジェクトに結実したりしているようです。果ては、北米大陸にマンモスの代わりのゾウを復活させるような案も浮上しているのだとか・・・二足歩行の人類が活躍する時期にすでに大型動物の捕獲が始まっており、自然界のゆがみはそのころ既に始まりをみていたのだというのが、積極支持論者の見解のようです。我々の身に危険を及ぼすからという、一見単純でわかりやすく賛意の得られ易い論理で動き出した危険動物の捕獲と絶滅ですが、失ってから初めて分かる自然界のゆがみについては、あたかも失った手足に幻覚として生ずる幻肢痛のようである、とのまとめにはただただ唸ってしまいました。そうしたほうが生き易いからと言って、怖い敵を単純に抹殺してしまってもダメなのですね。同様に(?)、ただひたすら技術革新を追い求め続けても、ある部分は確かに便利になるのかもしれませんが、便利になった分人手が要らなくなると。人手が要らないという事はすなわち雇用の機会が喪失されるという事になる訳でして・・現代社会、そこそこでええやんかという考えとかも結構重要なのかもしれないな。すなわち世の中のシステムなどというものは所詮ある程度面倒で、回りくどい部分があって、無駄だなあと思われるところがあってちょうど良いのかもな・・・などと、いつものネガティブ思考(自分ではさほどネガティブとは考えていないのだが)で締めくくってしまう小生でございました、チャンチャン。