9月10日 月曜日 雨

今日は『世界自殺予防デー』だそうです。全世界では1年間に100万人の人が自殺で死亡しているということです。仕事柄そういうことに関わる事も二度三度はあったわけではありますが、にしても多い数ですね。世界地図でみると日本はレッドゾーンに入り、決して自殺率の低い国ではないようです。WHOのサイトに”how can suicide be prevented"という記事があり、それによると

  • reducing access to the means of suicide (e.g. pesticides, medication, guns);
  • treating people with mental disorders (particularly those with depression, alcoholism, and schizophrenia);
  • following-up people who made suicide attempts;
  • responsible media reporting;
  • training primary health care workers.

という事柄が列挙されていました。自殺の手段(農薬やクスリや銃など)へのアクセスの制限、精神疾患の患者へのケアに取り組む、過去に自殺を起こした人へのフォローアップ、メディアの責任ある報道、医療者を育てる、とあります。たしかにいずれもなるほどなの項目です。中でも報道の項目に着目しました。たしかにアイドルの方の不幸な報道に一般の人の自殺報道が続く事があるのは事実でしょう。何よりも、緊急速報的に中学生や高校生が自殺をしたという即時的な情報に我々が接する価値や意義がどれほどあるのか、ということを考えると少々懐疑的になります。小さな囲み記事でよいような気がします。そしてそれなりの意識を持ってアクセスする人たちにむけては、もっと深く掘り下げた記事を用意しておけばよいのではないでしょうか?テレビ番組ではセンセーショナルな効果音付きで報道したあとの決まり文句がいつも同じです。『徹底的な原因究明と責任追及が必要です・・・』 未成年の(だけに限りませんが)自殺報道は本当に悲しい気持ちになります。そこまで追いつめられた本人の気持ちを考えるとまず悲しいですし、残された人たちの気持ちを考えるとまたさらに悲しくなります。自分にできる事は、医師という仕事柄、日常の患者さんの訴えに敏感に耳を傾けて、すこしでも精神的に参っている患者さんに対して、思いやりの気持ちをもって接してあげる事くらいです。そんなことを考えながら文章を書いていると、インターネットラジオの番組から、現職大臣の訃報が聴こえてきました。

遊歩道

”決められない○○” よく耳にしますが・・・決められることそのものに価値があるのではなくって、どんな事が決められようとしているのか、という事のほうがよほど大事だと思うのですが。悪しき事が決められるのなら、何も決められない方がよっぽどましです。即決できるリーダーシップ、っていう事にそれほどの価値があるのなら、かつてのどこかの国の社会体制を彷彿とさせます。これからは、ほどほどの時代、都会集中型ではない田舎重視の時代が来ると思っています。みなさんには一笑に付される、ここだけの話ですが・・・。