12月31日 雪
暖冬であるという長期予報ではありましたが、やはりただでは過ごさせてくれないようで年末には降雪・積雪を見ることになりました。終わってしまえば一年、やはり早かったですね・・という月並みな感想を抱いています。今日で人生52回目を数える年の瀬です。こんなこと書いては何ですが、紆余曲折の末に辿り着いた(流れ着いた)今のお仕事の形態ですが、未だに毎日が少しの後悔とたくさんの失敗の連続です。良いことは大して記憶に残らず、悪いことは決して忘れないですね、人生。一言で医師の仕事と言っても、色々な内容のものがありますので(就業形態から内容まで・・)始めた頃の自分の生活と今の生活はまるっきり異なっています。働き方改革が叫ばれるようになって久しいですが、自分が研修医の頃を思い出すと、それこそ1日労働20時間とか、時間外労働週100時間以上とかは珍しいことではなかったです。当時はそんな事そもそも考えたことがなかったですし、当たり前のように毎日を過ごしていました。一ヶ月あたり20日以上の当直勤務を語る猛者もいたように思います)こういうお話をするときはいつも若干の自慢話風の要素が混ざってしまうので慎むようにしているのですが)。やはり研修医の労働時間は一定の基準内に守られるべきだと思いますし、仕事と同様に自分としての私生活も充実した豊かなものになるように配慮するべきだと思っています。ただ、ここぞという貴重な経験をするタイミングというのがあるのも事実ですから、メリハリのある就業体制を心がける必要があると考えています。振り返ると自分の研修医時代は、いつがその”ここぞ”なのかがわからないので、ただただ現場にいようとしていたのが現実だったような気がします。逆に言うとその”ここぞ”に立ち会うためにほとんど無駄な時間を過ごしていたのだと言い換えることもできるのかもしれません。そこを配慮するのがこれからの指導医の役割なのかなと思います。何となく話題が一方向に逸れていってしまいました。今年はよく考えて見ると、色々な自分自身の気づきがありました。身近なところではまず、コーヒの淹れ方が上手になったような気がします。それほど特別なものではありませんし、高価なものを揃えてやっているわけでもありません。よく考えると飲む頻度が増えたから必然的に手際よくできたり、ただただコーヒー豆を新鮮なうちに消費するようになったから美味しいと感じているだけかもしれません・・・うん、きっとそうだな。また今年はたくさんの方の人生の終わりに接しましたし、多くの著名人も亡くなられました。自分も歳を重ねてくると世間で言われるようになった”身じまい”についてもより身近なこととして考えるようになりました。なかなか全世代に共有できる話題ではないかもしれませんが、今のこの国では大きな課題であるのは事実です。ただ経済財政的な側面を背景に語られすぎる傾向が気になるのではありますが・・。世相の方で言うと、ちょっと底が抜けてしまったようなことが多かったのも今年の特徴でしょうか。一番の衝撃はやはり公文書がいともたやすく書き換えられて、それが何の罪にも問われなかったと言うことでしょう。国の根本的なシステムが依拠するものがそこにあるわけですから、これは相当にまずいことだと思います。最後に、LGBTに象徴されるのですが、社会的に居場所を確保しづらい人たちへの思いやりです。すみっこぐらしとかミスフィッツ(social misfits)とか形容される人たちへの想いです。これはもちろんフレディ・マーキュリーさんが気づかせてくれました。無知でいることへの罪・・・。
ま、今年一年色々ありました。皆様ありがとうございます。そして来年もどうぞよろしくお願い致します。新年が平和で災害の少ない一年になりますように。