京都府与謝郡与謝野町 内科・外科・リハビリテーション科・在宅診療 いとうクリニック

ふくろうくんのブログ

The first cut is the deepest

4月27日 月曜日

暑かった・・。でも往診先のとあるお家では、入っていたのです・・暖房が 年に数日ありますよね、おうちのほうがお外よりも寒い日・・そう、そういう日だったんですよ今日は。Don’t blame on him….

https://www.youtube.com/watch?v=orMpqHQTpRE

The first cut is the deepest.  シェリルクロウの曲の中で一番好きな曲です。その意味は、初恋の傷は最も深いのよ・・ということらしい・・そんなことはボクには良くわからないのですけれど

ともあれ、しばらくブログはお休みしま〜す。

また連休明けにお会いしましょう。

PPKが幸せとは本当か

4月22日 水曜日 晴れ

「もう◯◯歳になったから十分ですわ。コロリーっと逝かせて下さい」とか「ピンピンころりといかせてもらうために先生に診てもらってるんやから」っていうことをよく外来や往診先で耳にする。ピンピンころりが一番幸せな死に方である、というのはしばしば人口に膾炙される、比較的市民権を得た考えのようである。信州にはピンコロ地蔵なんてものもあるらしい。だがちょっと待って欲しいなと・・・。それって本当にそうだろうか?元気にしていた人が突然ころりと死ぬ訳だから、その瞬間を誰も共有してはくれない・・いわゆる孤独死ということになる。その時は突然やってくる訳だから最愛の人にも挨拶などできないのだ。明日食べようと思って楽しみにとっておいたものも冷蔵庫に入ったままである。これは人に見られると困るから明日片付けようかな・・なんて思っていたとしても後の祭りである。子や孫達に相続してもらおうと思って密かに蓄えていたものも、もしかすると誰にも見つけてもらえないかもしれない。ボクなら・・・そこそこじわじわ死にたいな、と思う。自分はこの後かくかくしかじかの経過をたどって死んで行くのだろうな、と思いながら、それなりに身辺整理をしてから、世話になった人にも挨拶をしてから死にたいと思う。PPK(って略してみた)がもてはやされる理由はと言えば、おそらく誰にも迷惑をかけずに(それは金銭的にも身体的にもということであろうが)人生を閉じたいと考えるからであろう。もちろん現実は、それとは反対の方々がほとんどである(みんなが迷惑をかけながらという意味では決してないが)。子や孫に迷惑をかけたくないというのは相当に現代の世相を反映している、ある意味この世の病理とも言える現象なのかもしれないと思う事すらある。果たして他の国々の人たちも、私たちと同様、そう願っているのだろうか?そもそも、それは本人が思っているほど周りは迷惑だと考えていないことも多い訳で、亡くなられた後に、その頃を懐かしく笑顔で思い出されることのほうがむしろ多いのも事実であり・・・。ボクは結局、人って ”生きて来たようにしか死ねない”のかな・・と思っている(なので私はやがてはエンマさんのもとに行くのだ、と自分で勝手に決めているのだが《泣》)。他方で、地域連携医療というのは、まさにそういう括弧付きの迷惑というものを、皆で分散しながらシェアをして助け合って暮らしましょうという制度である(と思う)。人にはそれぞれ事情があり、介護したくてもできない家族もあれば、介護できるのにしない家族もあるだろう。そういうのをひっくるめて、家族だけの責任にせず、社会で支え合って行きましょうというのが良いのではないかと考えた我々の知恵なのではなかろうか。でもって、これ以上語りすぎると、小さな政府至上主義の方々にお叱りをうけそうなのでこれ以上深入りはせずにやめておこう・・・。

PPK

佐久市のピンコロ地蔵さんです。

ひきこもりの休日

4月19日 日曜日 雨

この休日は半分お仕事、半分ひきこもり生活であった。

起きる⇒車で走る⇒お仕事に出かける⇒食べる⇒お仕事に出かける⇒戻って本を読む⇒食べる⇒お仕事に出かける⇒iTuneで観る⇒食べる⇒寝る・・・・

やっておくべき雑用がはかどらなかったな・・・

images

かなりのお気に入りになった映画だった・・・そうだった、パックマンのハイスコアの名前登録って3文字だったよな。「攻略法は使うな 自力で切り抜けろ!!」・・深い

関係ないが、高橋源一郎さんによると太宰治とか谷崎潤一郎とかって戦後の沈黙の時代においても、とっても多作の作家だったそうな。細雪が反戦小説なんだっていうのは目からウロコの解説だったな。例によってどうでもいいブログ記事・・・・泣

踊らされる私たち

4月13日 月曜日 しとしと雨

往診先のクロネコ君が今日は何やらハイテンションだった。患者さんのお話も聴き取りにくいほどニャーニャー、私にいったい何を伝えたかったのだろう・・・?

以下は、とある患者さんとの会話である。

「先生、私の頭痛なんですけど もしかしたらくも膜下出血じゃないかと思って・・検査してもらった方がいいのじゃないかと思うのですけれど」

「頭痛ってどの程度のものなのですか?」

「いやあ、昨日もテレビを見ている最中に何となくズキズキして来て、今朝は大丈夫なんですけどね」

「くも膜下出血って、救急室で大急ぎで検査をしないといけないような病気で、通常辛抱できないような激痛ののちに倒れてしまう病気なのですけどね・・」

「いやあ、お隣の◯◯さんに”それ、くも膜下やで!”って言われて、心配なのでやっぱり検査をお願いします!!」

「・・・・」

結局は検査をしても異常なしという結果なのですけど、患者さんにとっては不安や心配がまず先んじてあり、そうなるといてもたってもいられないという状況に陥っているという、何とも不幸な循環を引き起こしている状況であるな、と考えた次第であります。病気の啓蒙や注意喚起は、単なる不安の惹起と紙一重だなあと考える事が多々あります。逆に、早めに気付いて良かったなと思う事を経験する事もある一方で、「知らぬが仏」とはよく言ったもので、知らなけりゃ何も心配はしなくて済むものを・・と思う事も多いです。結局は情報に踊らされているだけだったな・・というオチ。

経済の世界でも、よく消費刺激策云々と耳にしますけど、あれってちょっとムカつくなと。我々にものを買わせようとする経済政策の事なのでしょうけれど、必要なものは買うし、不必要なものには手を出さないし、政府にそんな事をあれこれと指図されたくないと思うのであります!景気とは確かに循環なのかもしれません、買うつもりのなかった人たちにモノを買わせて、そして経済を回すというのもまた一理あるのでしょうけれど、小生はちょっと違う考え方をしています。消費をさせたいのであれば、まずは貯蓄をしなくてはいけないのではないでしょうか?誰しもバカではありません。充分な老後の備えなくして、そんなにバカみたいにモノを買う事はできないと思うのです。そもそも、デフレが経済を悪くする・・というのも、本当なのかしらん? その議論って、デフレになると、何かを買おうと思っても、将来もっと値段が下がるからそれを買う事を先延ばしにする人たちが出てくると。そうすると、もっと消費が冷え込んでさらに景気が悪くなってという悪循環に陥るでしょ?というのがその理論的根拠だと思うのですけど、そこまで考えて買い控えをするってこと・・・自分に置き換えたらあまり考えられないのですけど!? 健康に気をつけろ!とか、経済を良くするには、一般国民にモノを買わせろとか・・私たちをそんなに踊らせてどうするのかな。もっと、地に足をつけて、毎日毎日地道に一歩一歩生きて行こうよ・・それで何か不幸なことが起こったら、みんなで助け合えればいいじゃん・・・。

って書いてみたけど・・全然言葉足らずだし、こんなの世間には受け入れられないわな・・・

空を見上げる

4月10日金曜日 雨

訪問するお宅のほぼすべてに暖房が入っていた。4月なのに・・・なかなか春到来とは言えないこのごろの天候である。唐突なのだが、最近は下ばかりを見ながら歩いていたような気がする・・と、患者さん宅へ歩きながらふと考えた。マンションの階段を上って行くと自然と空と海が視界に入ってくるのだ。ちょっと視点を変えてみて、少し目線を挙げてみれば、美しい空や海が見えるというのに、何気なく過ごしているとそんな事にも気付かなくなっているんだな・・。首をグイとあげて空を眺めてみた。なんだ・・・人間の存在なんてちっぽけなものなんだ。最近経験した、とある方とのおわかれの時には、本当に考えるところが多かった。あんなにきちんと折り目正しく挨拶をして旅立たれたひとにボクは巡り会ったことがなかったのだ。このお仕事をしていて良かったなと、再認識させられた。その彼もこの空を上って行っているのかなあ〜と思いながら眺めた空はどこまでも透き通っていた・・・。

capa

またまた久しぶりにロバートキャパの自伝を読んでみた。戦争写真家として、奔放に生きた彼の筆致は本当におもしろい。かの有名なイングリッド・バーグマンとも浮き名を流した彼だが、一度も誰とも結婚しなかったそうな・・・(一度アメリカ国籍取得のための偽装結婚をしているそうだが)。ともに戦場で散った最愛のゲルダ・タローを生涯愛していたからではないかとも伝えられているが真相は良くわからない。彼の著作を読んでいると、報道写真家という職業がとってもロマンにあふれるものに感じられる。最近の中東での事件を考えるとそんな事軽々には言えないのだけれど・・・。今度生まれ変わったらどんな職業になりたいですか??キケンと隣り合わせの波瀾万丈な人生もまた一興だなと思うことがある・・ボクにはそんな度胸は多分ないのだろうけれど。生涯伴侶や家族を持たず、自由な身で何かをしてみたいという欲望がちょっとあるんですよね、昔から。でも、開業医って言う仕事はたいそう楽しいです。それまでは勤務医で、ただ単に医師をしていれば良かったのですけれど、開業医になるとそれに経営者という立場も加わる訳で・・それも大変なのですけれど、まさに”禍福はあざなえる縄のごとし”で、色々な事が巡り巡ってやってきます。それもこれも楽しまなきゃね・・・!

ひきこもり人間

4月8日 水曜日 くもり&さむい

今日は急に午後から電話線の工事をして頂く事となった。町内に新たに敷設される事になった皆さんご存知のアレですね(またまたですます調とである調の混在文・・)。NTTさんの関連の会社ってたくさんあって何がなんだかもう素人には分からない仕組みになってるようで・・・今日もどこからどなたが来られたのか良くわからない。往診日であったため、ちょろっと行っては帰り、またまたちょろっと行っては帰りの一日だった、ふぅ〜。市内ではしてもらえなかった工事(モデムにプロバイダ情報を設定する部分)がなぜか完璧に施されており、聞けばこれはこのあたりでは当たり前とか・・。よけいに何がなんだか良くわからなくなった一日だったな。

スマホか大学か

何やら、甲信越地方のとある大学の学長さんの入学式での式辞が話題になっているとか。で、全文読んでみましたが・・なるほどunderstandableやんか。なんでこんな事で騒ぎになるのかニャ。極めて普通の事を仰っているようにワタクシには思えるのだが。ま、言葉どおりにとれば ”スマホをとりますか?大学生活をとりますか?”っていう2択の質問形式にはなりますが、含意はまったくそんな事を問うている訳でもなく(ていうか当たり前ですよね、そんなこと大学の学長さんが問うはずもない)。メディアさん達よ、どうしたのだ!?やっぱ、日本の教育改革・・道徳がどうだとかグローバル教育は英語だとかの前に、我々大人達の日本語教育をもう一回やった方が良いんでないかな? かく言うワタクシめも、タイトルのことを書こうと思っていたのだけれど、全然それには触れずじまいの〆になってしまったこの文章(泣)。ホントは、毎日毎日仕事以外には外に出ずに引きこもっては本を読んだり、このブログを書いたりしている我が身を嘆く文章を書こうかなと思っていたのですけれど・・・やっぱりタイトルは全文書き終えてから考えた方が良いのかな?!

賛否両論ありますが・・

4月7日 火曜日 曇り

寒い一日でした。寒の戻り・・その2でしたね。

さてさて・・・医院のブログに時事ネタは御法度、というのはカクも存じ上げておりますが。今日はちょっとだけお許しを頂きまして・・ここから先は個人的なつぶやきでございます。

2014年6月に成立した法律「地域における医療および介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等に関する法律」に基づいて、2015年4月から各自治体で地域医療構想の策定が始まると聞いています。与謝野町然り、宮津市然り、地域の医療はこれからは地域で問題点をあぶり出し、それぞれに計画を策定せよ・・ということなのですね。この法律の想定している将来とは・・そう、2025年であります。いわゆる団塊の世代が後期高齢者となる年ですね。これは巷のニュースでも嫌というほど聞かせられているので皆さんご存知のやつです。いまや中央は、各自治体の病床がいくつあって、その内訳がどんなで、どんな病名で幾日入院していて、いくらかかっているか・・・などのデータをすべて把握しておられると思います(俗にビッグデータと呼ばれているようです)。そして、国の懐具合と実績を見比べながら、今後の医療費にかかる支出をコントロールしようとします・・・それはどうするかって?2年に1度の介護報酬(これは3年に1度だったかな?)と診療報酬改定によってです、ハイ。はじめの点に戻りますが、やはりこれからは地域が主体となって、それぞれの方が受ける医療や介護のサービスを策定せよという基本方針なのですから、みんなで一生懸命知恵を出そうではありませんか!医者だけでもダメですし、住民だけでもダメです。市町村に音頭を取って頂いて、オール地域(ここら辺の場合は、オール田舎・・とも言いますが)でやって行かなきゃいけません(でないと損します)。がんばろう、田舎!

http://www.nytimes.com/2015/04/06/opinion/thomas-friedman-the-obama-doctrine-and-iran-interview.html?smid=tw-share&_r=0

医療政策では旗色の悪いオバマケアですが、彼はやっぱりひとかどの人物ですね。またまた、アメリカ在住の頃のネタですが、知り合いの人のお宅にお呼ばれをした時に(もうかれこれ15年弱くらい前になりますが)、そこのおばさんがかなり興奮した口調でこう言っておられたのを思い出します「今日の民主党大会でね、とってもすばらしいニューリーダーが現れたのよ!バラクっていうんだけど、とっても演説が上手で云々・・」当時は彼がその後大統領になるタマだとも思わずに、おうちに帰ってネットで彼を検索して”ふ〜ん”、って思っていたのですが。翻って、日本の政治家さんで、これだけ原稿なしでの長時間インタビューに耐える人っていないのじゃないかな。アメリカってやっぱり凄い国だなって思うのは、シンクタンクなんかが報告書とかで、将来起こりうるシナリオとして、覇権国家がアメリカでなく中国になった場合とかを冷静に分析しているのですよね(そしてその予測は今や多くの政治学者、経済学者その他諸々の人々の衆目の一致するところのようですけれど)。日本の政治家や学者や官僚で、目先の損得だけではなく(今はホントに目先も目先、四半期先の事しか話題になっていませんね)、地政学や歴史学などに基づいてこの先50年単位で国のあるべき姿等を考えている人って、ほんの一握りなのではないでしょうか?

30年、いや10数年後にはもはや世界のヘゲモニーはアジアに移っているかもしれません。その頃にはアップルもグーグルも、ないのかも・・・

開業医のおしごと

4月5日 日曜日

近くの神社の桜が満開に近い。市内ではこの雨で開花のピークは過ぎるようだ。今年も千鳥ヶ淵の桜は満開になり云々というテレビのニュースも毎年毎年この時期に目にする予定調和ではあるが、患者さんとの話題もやはり桜の話になったりする。御所の近くを車で通り過ぎたのだが、雨の中を春の一般公開に合わせて上洛されている観光客で一杯であった。せっかくの旅行なのにあいにくの雨は残念なことだ。そういった観光客の中に、女の子とそのお母さんとおぼしき女性の二人連れ、というのも目立った。勝手な推測だが、この春に他府県から下宿先を探してようやく引っ越しを終えて、さあ週明けに入学式、その前にひとつ京都見物でも・・と街に繰り出しておられるのではなかろうか?何となく初々しい面持ちの女の子が印象的であった。一方では、今春に残念ながら進路が決まらなかった若者たちもいるであろう。それもまた人生だ。何も一度の入学試験で人生が決まるものでもなかろう、悔しさをバネに頑張って欲しいものだ。悔しさや悲しみが人を育ててくれるって言うのもまた真実であろう。負けるが勝ち・・っていう言葉もありますからね!(あ、これはあまり励ましになってないな・・)

千鳥ヶ淵

そうそう・・開業医のおしごと。ひとつは、今現在かかっている病気を治すこと・・これは当たり前ですね。幼稚園児に聞いてみるとたぶん直ちに返ってきそうな答えです。もう一つは、将来起こるかもしれない病気を予防する為にいま何かを行うこと。例えば糖尿病や高血圧、コレステロール異常の治療もそういうことなのです。つまり、血糖値が高いからと言って今ただちに何か有害なことが生ずる訳ではありません。あくまでも高い血糖値を治す目的は、将来起こるかもしれない合併症、特に生命を危険にさらすような大血管障害(脳卒中や心臓発作のことです)を予防する為なのですね。そう考えると、いわゆる後期高齢に相当するご年齢の患者さんももちろんですが、40歳から60歳の年齢層の方に対する治療は大変重要なものとなります(と誰でも思いますよね)。ところが、そういう方は皆さん日々忙しく働いていらっしゃいますので、2週に一回はおろか月に一度の受診だってままならないわけです。ましてや、毎日30分汗をかくくらいの散歩をしてください・・と言ったって、夜遅くまで働いて、朝ギリギリに起きて食事もせずに通勤している方がそんなこと出来るはずも無く、絵に描いたボタモチとなってしまうのです。中には十分な時間をもって体調管理や食事運動療法に費やすことの出来る方もいらっしゃるでしょうが、大多数の「そうもいかない」患者さんに対して、いかに治療に対する動機付けを維持しながら、100点ではなくても出来る範囲での精一杯の努力を引き出すことが出来るか。もちろん治療に必要な経済的負担も無視できない要素となります。生意気なようですが、開業医の腕の見せ所とは、そいういうことを時には直にお話ししたり、なんとなく推測したり、お気持ちを斟酌しながら、いかに細く長く(太く長くが理想的ですが)おつき合いして頂けるか・・・ということなのではないかなと思ったりしている今日この頃です。お父さんの診察にいっしょについてくるちびっ子には「パパに、長いこと元気でいてもらわんと困るやろ〜」って呼びかけてるフリをしながら、お父さんのお気持ちに訴えかけてみたりして・・(ネタバレあり)。

月末年度末のいろいろ

3月30日 月曜日 晴れ 暖かくなりそう

週末は自治体開催の多職種連携在宅療養支援研修会なるものがありこれに出席した。めずらしく懇親会まで出席したので新たな人との出会いもあり、やっぱりこういう会には可能な限りでるべきだなと反省する。映されたスライドには同級生の活躍する姿もあり少しだけ刺激を受けた週末であった。行政からの報告は、介護給付の市町村への一部移管にともなう今後の事業計画など。やはり京都北部は高齢化最先端の地であると言う、いつもの統計を再認識した。新年度からは65歳以上の方々の福祉医療自己負担の変更(増額です・・)もあり、いろいろと動き始める年度末である。さてさて、自分も開業3年目を迎えるので何かしら長期的なビジョンも考えていかないといけないな・・・などと思って見たり、でも結局は、ぼーっとすごした週末なのであった(泣)。

 

 

とある経済学者が紹介していた米国FRBの議長であるジャネット・イエレンのプレスカンファレンスを見てみた。見た目は言っちゃ悪いが、その辺にいそうなおばちゃんである(とっても上品であります)。確かに記者の質問に対する受け答えが、非常に丁寧で好感の持てる印象であった。どんな問いにも真摯に対応するっていう表現が適切か。こいつ何言ってんだよ・・的な薄ら笑いを浮かべながら話をしたりしない。深夜にやっているどこかのディベート番組(?)の口汚い罵り合いとは対極の様相である。経済用語が飛び交うのでその専門的な内容はあまりよく掴めななかったが、やはり人と相対する、人とコミュニケーションを図るというのはこうでないといけないなと考えさせられた。反省!

反抗するものに対する反抗

3月24日 火曜日 あめ

寒の戻りである。診察室は冬場に1度も点灯していなかった(単に存在を忘れていただけなのだが)床暖房を少しつけてみたので暖かかったのだが、患者さんが口々に今日は寒いなあ〜と仰っていた。・・・なので、寒かったのであろう今日一日が終わった。診察終了後に、とってもお世話になっている方とお会いする約束の日だったので、お話をしながら近況報告。今年になってから、いわゆる”孤独死”っていうことに何度か直面したことなど・・・お話しする。孤独死っていう言葉は、やや自己矛盾的であると思う。死ぬときゃ誰だって孤独なものであるからして・・・。ただ単に、命が終わる瞬間に傍にだれか他者がいるかどうかの違いなのだ。でもその瞬間だれかがいるかどうか、おそらく旅立つその方にはわからない。結局は、孤独死かどうかを問題にしているのは、その傍らの人だけなのだと思う。ましてやお別れの儀式に花輪がいくつあったのかなんて、旅立つ人にとって何の関係もないのではないかな?

 

 

ギタリストのローリー寺西さんってホントおもしろいし、独特な感性の持ち主だなって思います。勉強もスポーツもできない彼が、ギターを3時間ぐらい弾いた瞬間、ちょっとこれはいけるかなと思ったらしいのですが、ふつうなら「おれはギターを弾けるんだぜ!」って思うところを、「ギターが俺を選んでくれたんだ」って思ったそうです。なんかいい話・・・。彼って小生の4年ほど先輩なのですが、自分の歴史を振り返って・・・反抗するものに対する反抗っていうものがあったそうな。分かるなあ・・その気持ち。僕も中学生のその昔・・・校内暴力吹き荒れる世間だった訳でして、ある日学校へ行くと、トイレの間仕切りとか便器とかがめちゃめちゃに壊されていたり、卒業アルバムに「この人どこの組の人なん・・?」っていう同級生が写ってたりするのです。その頃の僕はと言えば・・・そういう不良たちとそこそこ仲良くなっていて、一方では先生にも一定の信頼を得ていたのだ(そう自分が思っていただけかもしれないが)。とあるネットの番組で、件のローリーさんが自らの少年時代を振り返っての一言が、「反抗期に反抗する奴らがボクには、従順な、なんて素直なやつらなんだって思えたんですよ」っていうやつです。そうだ、僕もあのころ、心の奥底でそう思ってたんだ・・・”反抗期だから反抗するってなんて単純なやつらだな”、なんて思ってた次第です、ハイ。だからボクの中学生のころの心の中は、アンチRock!! クラシック音楽のファンになったのです・・・それまでのロックの仲間が口をぽかーんとしてボクを見ていたのを思い出します。昔からそんなひねくれ者だったワタクシ・・・orz.

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