9月20日 水曜日

先日言語学の解説動画を見ていた時のお題がこれでした。日本語と英語の文法的な違いを代表する例として挙げられるのが語順ですね。「私はスイカを食べた」なのか「私は食べたスイカを」なのか問題です。なんとなくの印象では圧倒的に英語や欧州の言語だと後者に属するものが多いので、前者を取る日本語的言語は圧倒的に少ないような気がしたのですが、正解は4割くらいの言語で前者なのだそうです。ちょっと意外な感じですね。英語学習では発音に悩まされるのですが、日本語だと五つしかない母音の数も、英語ではたくさんあるのですね。アの発音についても、五つくらいの記号で表される種類があるらしく、短母音と超母音合わせてみるともっとたくさんになりますし、二重母音を含めるとより一層多くなります。なるほど英会話が苦手になる理由もここに一つ原因があるわけですね。よくRとLの発音とかBとVの発音が肝心で・・とか言われることが多いですけど、意外と母音の発音の使い分けができるようになることも結構重要なポイントなのかなと思いました。お題に戻ると、物事の平均とは何か?という問いかけになるのですが。もう一つおもしろい例えに「おもしろい数のパラドックス」説が挙げられていました。この世に”つまらない”数って存在するのか?問題です。過去にすべての数はおもしろいという仮説を証明を背理法で行ったものがあるそうです。つまり、「つまらない自然数の集合が存在する」と仮定します。するとその集合にはつまらない自然数の最小のものが存在することになります。ところが、おもしろくない最小の自然数というのは、その存在自体が希少であるのでおもしろくなくない・・ということになります。なので、背理法により、すべての数はつまらなくないという結論が導き出されるのですね。その後、それを覆そうとした人がいるらしく、Wikipediaによると、Wikipediaで検索できるエピソードを持たない自然数の最小の数は247だそうです。なので、247はつまらない最小の自然数というものに該当する候補の一つであると結論づけているのだとか。もうここまでくるとどうでもいい感じが溢れていますね。そして今日の結論は「世の中につまらない人はいない」説であるということにしておきましょうか。数→人に置き換えただけです(笑)。けど、ドイツに(イタリア?)次のような言い伝えがあると聞きます。「私たちはみなどこかがおかしい」Siamo tutti un po’ pazzi.(やっぱりイタリアの諺でしたね)。