6月29日 土曜日
しばらくうっとおしい天気が続くようです。明日は当番日ですので休日勤務をしております。
少し前の朝日新聞記事を目にしました。「点滴量半分以下 11人死亡の老健施設、経費削減証言も」という見出しです。「安い点滴に」理事長が指示 とあります。安い点滴に・・という言葉がもしそのまま語られていたのだとしたなら、冗談だとしても看過できないことだと思いますし、この事例の真実がそこに語られているように感じます。一方で、記事内では、終末期に置ける体液過剰の浮腫(むくみ)が、点滴により増長されることの弊害も同時に語られています。ここはとても大事なところで、一般的に点滴は食事ができなくなった時の代替処置として有効であると認識されているのですが、一概にそうであるとは限らないのです。例えば、病気で肺やその周囲に炎症を生じているような場合に、安易に点滴をすると肺に水分貯留を起こしてしまい、却って患者さんを苦しめることがあります。また、肝臓の機能が低下している時には、点滴した水分がそのままお腹に溜まってしまうことも珍しいことではありません。ある一定の病態にある場合には、点滴は副作用こそあれ、利益がないことも稀ではないのです。ここのところ、まだまだ一般に周知されているとは言えず、医療者やその関係者の間でも十分に共有できていないことかもしれません。点滴ぐらいしてもらったら・・・ってよく聞く会話なのですけど、実際にはそれほど単純化して語って良いわけではないのだと思います。
なので・・・始めの記事にある、点滴を低減する配慮というのは、あながち間違いとは言えないのですが、それについての説明と同意がなかったり、経費削減などという言葉を用いてしまっていることが問題なのでしょう。終末期の患者さんだから(コストをかけないように)・・という理由で有効な医療が抑制されるのは、私は反対です。故大平正芳氏の言葉が好きです「政治とは明日枯れてゆく花にも水をやる事である」(正確な文言ではないと思いますが)。医療においても、まさに私たちは枯れ行く花に暖かい眼差しを注ぐことを忘れてはならないのだと思います。