京都府与謝郡与謝野町 内科・外科・リハビリテーション科・在宅診療 いとうクリニック

ふくろうくんのブログ

Social Common Captialについて

6月6日 土曜日

コロナ以後という言葉が各媒体でよく目に触れるようになってきています。自由主義経済に基づいて、効率、迅速さ、グローバルを競われた時代は今や新型コロナウイルスによって水を差された格好になりました。今までは徹底的に無駄をなくして、経済的にも物理的にも効率よく物事を進めたり、制度設計をすることが美徳とされていたのですが、今回の緊急事態では、ある程度の無駄というかゆとりがあることが、いかに事態を救うことができるのかということをいやというほど知らされることになりました。統廃合の対象でしかなかった赤字垂れ流しの医療機関というキーワードも見直す必要が出てきました。感染症指定病院はいまでも再流行に備えて、病棟やベッドを空床で確保していなければなりません。当然それは赤字を生み出す源となります。場合によっては患者ゾーニングの確保のために新たな予算を投じて対応しているところもあるようです。飲料水を含む自然環境、道路などの社会的インフラなどはもちろんのことですが、医療や福祉、教育、司法などを社会的共通資本と呼んで尊重しなくてはならないとした経済学の大家である宇沢弘文先生のお言葉を思い起こす必要性がありますね。これら全員の共有財産を市場にさらすことについては、十分慎重な態度でもってしなければならないと、私は考えています。なかなか大変な状況ですが、それぞれの施設が知恵を出しながら取り組んでいるところだと思います。10兆円の補正予算が議論されているようですが、きちんとした予算組みになっているのか、今回こそは皆で目を光らせておかなければならないと感じています。

では今週もあと一日、頑張っておしごとおしごと・・・・

北斗と南

6月5日 金曜日

タイトルを見て、ん・・?っとなった方は、同世代マンですね。せいじと夕子でもいいですよ。知らなかったです、ウルトラマンAが今でもネットで全編視聴できるなんて。ある人のツイッターでの投稿をみて、そうなのか~と思って見てみました。ウルトラマンエースはと言うと、初代マンから数えて、セブン、帰ってきた・・の次の4代目ということになるのでしょうか(たぶん?)。仮面ライダーシリーズでのカウンターパートはV3の次のエックスということになります(知らない人には、何言うとんねんという話題でしょうけれど)。とりあえず記憶にあった南隊員の最終回を見てみました。とはいえ、私の記憶ではこれは最終回と思っていたのですけれど、全然真ん中くらいの放送回だったのです。エースはそれまでのヒーローとは大きく異なり、男女の隊員のペアで変身するという斬新な設定だったのです。それぞれが指にはめたリングを合わせてウルトラマンに変身するということでした。両隊員の恋愛感情をほのめかす挿話だったり、小学生だった小生に恋愛ということの概念の扉を開いてくれたのは、意外にも円谷プロだったのですね。しかもこの回に使われていた曲が、今気づいたのですけどドビュッシーの作品ではないでしょうか・・コレ。いちいち知的ですよね、いや~昭和って・・・いいですね。皆さんも、むっちゃ暇な時があれば、ウルトラマンエース、第28話・・・見てみてくださいね。最後のシーンは、二つの指輪を両手につけて、一人でもエースに変身できることを確認する北斗星児なのでした・・・(ほほえましいな)。それからあと一つ、主題歌の一つの歌詞に、「勇気と力が合言葉~」っていうくだりがあるのですけど、これ当時はずっと「勇気と力がアイ子とバーン」だと思って、なんのこっちゃって思っていたのですけど、53歳にして疑問氷解!いやいや何事も勉強ですな・・・

 

拾い物 其の弐

6月4日 木曜日

Ryu’s Barのシリーズを懐かしくていろいろと見ていました。何とも便利な世の中ですね。もう30年も前のテレビ番組が見られるのですから・・。昨日は夜遅くに時間ができたのでコソコソと検索していたら、加藤和彦・安井かずみ夫妻の回が出てきたのです。お二人とも今はもう・・なのですけど、ほんとのセレブとはこういった人を言うのだな~。いやいや昭和の日本は良かったな(番組は平成でしたけど)。こういうこと言いだすと、もう時代遅れの人ですよね。お二人は龍さんとテニス仲間だったそうです。zuzuこと安井さんが愛されたという、東京は港区の「キャンティ」は今も営業しているそうですけど、ちょっとみてみると錚々たる名前が出てきますゾ。松任谷由実、加賀まりこ、石原裕次郎、阿部公房、伊丹十三、坂本龍一、沢田研二、岡田真澄に果てはロバートキャパまで。むかしはどんな雰囲気だったんだろう。やっぱり番組は奇妙なプレゼントで締めくくられるのですけど、何とも上品で知的な内容です、今はないよ・・こういうの。

ところで・・・アメリカの現状はどの程度日本のテレビなどのメディアで伝えられているのだろう(ほな、テレビ見ろよ・・っていわれそうですけど)。根源的なところまで辿ろうとするとかなり時間がかかることとなりますが、まとめてくれている文章を読むかぎりでも、かなり深刻な状態であることがわかります。現大統領への支持をめぐって二分された社会であったり、少し前から読み進めているDope Sickの問題(オピオイドと言われる麻薬に関する社会問題)や人種差別問題など、近代に入ってずっと世界のヘゲモニーを掌握し続けてきた大国の苦悩を見ておく必要があると思います。影の部分がクローズアップされているのですけど、一方で情報公開についてはわが国よりも100歩先を進んでいるということにも気づかされます。ポスト・コロナの時代に向けて・・と言われますが、私たち自身がもっと賢明になっていく必要があると感じます。

拾い物

6月3日 水曜日

実際には行ったこともないのですけど、3-4年前からこの時期になるとちょっと気になっている毎年のイベントがありまして・・。長野県は八ヶ岳で毎年夏休みに開かれる野外映画館「星空の映画祭」っていうのがあるのです。ツイッターでフォローしているのですけど、昨日?今年のイベントは中止となりますというツイートが流れてきました。去年は確かボヘミアンラプソディーが上映されていたのではないかと思います。ほぼ関係はないのですけど、残念だな・・・

そうそう、ユーチューブでの拾い物を視聴したことを書こうと思っていたのです。昔は毎週必ず見ていた番組で、Ryu’s Barというのがあります。好きな作家の村上龍氏がナビゲーターで、アシスタントに森口瑤子さんとか岡部まりさんとかジュリードレフュスさんとかを配して、時の著名人を招いて語り合うという番組でした。今回上岡龍太郎さんゲストの回の番組が某動画サイトにアップされていたので見てみました。あ~これ見てたな~っていう感想です。この番組、高校のころに見てたという記憶だったのですけど、実は20歳くらいの時に始まっているので、その記憶は誤りなのですね。大学時代に見てたのか~。ちょうど彼が「愛と幻想のファシズム」を世に著したころですな・・。昔は限りなく透明に近い・・・とか読んでも、こんなのめちゃくちゃなだけやん って思うだけだったのですが、今なら違く解釈できるワタクシ。ちょっとは成長?したのだらうか。しかしな~こういう構成の番組は今はないですね。昔の自分を思い出すと嫌悪感とかしかわいてこないのですけど、こういう番組が好きだったのだというのは、ほんのちょっと自分の頭をなでなでしてあげたい気持ちになる唯一の根拠です(わかりにくっ!)。この番組の不思議な部分は、最後にゲストに渡されるプレゼントが意味不明なものであったということと、番組中に出演者がたばこをスパスパ吸っていることだけです(スポンサーがJTだったからこれは仕方ないですね)。テーマ曲はあまりにも有名なcleopatra’s dreamです。ま、聴いてみて!ああこの曲なっていう感想しかないとおもいます。ジャケットに子供がのぞき込んでるの今はじめて気づいた・・・

明日は、オバマ元大統領”今は一市民”のメッセージを読んだので、それ訳してアップしてみようかな~・・それではみなさんHave a nice day!

giving her a chance

6月2日

感染と暴動とが吹き荒れているアメリカであったり、コロナとエボラが発症しているアフリカとか海外での大変な情報に接するたびに、日本の平穏さに感謝しています。一部の自治体の長が、特定の自治体の医療が崩壊と呼ぶべきものであったのではないかと発言したことがいろいろな議論を巻き起こしていたようです。医療崩壊とは何を指しているのか、それぞれの人の考え方次第で議論はどちらにでも転がっていきそうです。僕は少なくとも崩壊寸前であったのは間違いないと考えています。もちろんすべてが雲散霧消してしまうような崩壊消滅という意味で申し上げているわけではありません。しかし、医療へのアクセスが一定程度抑制をせざるを得なかったのは事実ではないでしょうか。特にほかの救急疾患が受け入れ先に困難を生じていたり、手術治療などの予定が延期になったりしていたというのはよく耳にする話です。医療機関従事者にも過度の精神的肉体的負担がかかっていたというのもすでに各種メディアで報じられている通りです。問題は今回幸いにしていったん急場をしのぐことができたと言う現時点において、次にやってくるかもしれない急激な感染拡大フェーズに対応できるような準備を備えることが大切なのだと思います。医療崩壊であったと指摘された自治体にしてみれば反論したくもなるのでしょうが、ここはそういった見方もあるのかなと双方歩み寄って建設的な情報交換や議論を盛り上げていくのが私たちみんなのためなのではないかと思いました。特に最近のSNSとかテレビメディアなどでの事件や対立を見ていると、いったんこの人はこうであるという噂が立ったときに一気に炎上してしまい、その人物や団体に払拭困難なイメージを固定化してしまうということで無益な対立や孤立化を引き起こして、不幸な帰結に連鎖していくということを感じています。断定→バッシング→孤立化という悪循環が発生してしまっていますね。すこし関連するのですが、先日元国会議員で、万人が認める暴言で辞職に追い込まれた方が数年経た今、インタビューを受けて当時を回顧しておられる記事を読みました。そのまま信じてよいのであれば、冷静に当時を振り返って反省をし、現在の活動に生かしておられるようです。同様に十年以上も前になると思いますが、政治資金規正法違反で起訴され有罪判決を受けて収監されていた議員さんが、当時服役期間を終えてからその時の体験を踏まえてルポルタージュを出しておられたり、その後も出色の発信をされていたりすることもあると知りました。いったん世間に対する大きな影響のある事件を起こしてしまったら、その後の人生を棒に振るような歩みを強いられることが多いと思いますが、中にはきっちりと反省・見直し・出直しができる人も少なくないと思います。もう一度チャンスを与えてあげることができるような寛容な気持ちを持つことができれば良いなと考えています。

それでは・・・現時点でのコロナについてわかっていること、ラジオ番組でおさらいしてみましょう。先生は・・・おなじみNIHの峰先生と、聖路加国際病院の坂本先生です。頭の中を整理して今後の行動に生かしていきましょう!(いつもほかの媒体だよりの情報提供で申し訳ありません・・・)

【音声配信】特集「東京都が休業要請緩和の「ステップ2」へ。一方、北九州でクラスター発生。新型コロナウイルスとの新たな向き合い方」峰宗太郎×坂本史衣×荻上チキ▼2020年6月1日放送分(TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」22時~)

ちょっとだけずれている

5月32日 月曜日

新しい日常を始めるべきであるという初日の日です。

冒頭の行に日付を書き入れる際についつい5月と書いてしまったので、それなら31日の次は32日でもいいかとしてみました。われながらくだらないことですね・・・。ちなみにうちの電子カルテは平成32年5月でもちゃんと理解してくれています(これは当たり前か)。

先日依頼をした宅配の品物が、追跡では到着していないとおかしいのに夕方になってもなかなか来なかったのです。もう今日は来ないのかなと半ばあきらめていたところ、夕方というか夜になってピンポーン。配達の方が品物と交換に、言い辛そうに付け加えて曰く、住所の記載に不備があり、どこに配送すべきなのか局内でちょっとした騒動であったようです。すこしの違いなのですがそれが大きな影響を及ぼすってことありますよね。病気のことで言いますと、大動脈後左腎静脈というものがあります。身体に左右一対ある腎臓のお話です。人間の体は左右対称性があると思うのですけれど、当然のことながら完全にシンメトリーではないのです。ど真ん中にあるものは何かというと、脊椎(せぼね)ですね。ほかに真ん中に位置する権利を有していそうなものは大動脈があります。動脈に比べて日陰の存在の静脈、すなわち大静脈も真ん中にいてよさそうなものです。しかし先述したように両血管は脊椎にその座を譲っているわけです。仕方がないので動脈は真ん中からやや左に、静脈はやや右にその位置をずらして存在します。さてさて、腎臓に戻りますと、そこから出てくる静脈(腎静脈と言います)は体の中央やや右に存在する大静脈に合流することとなります。そのためど真ん中の椎体と、その手前の大動脈をよいしょ!って乗り越えないといけないのですね。通常はその前側を乗り越えるのですが、まれに動脈の後ろ側(寝た状態だと下側になります)を通るものがあるのです。一種の奇形なのですが、私たちはそれを奇形とは呼ばずに形態異状とか破格と呼んでいます。ふ~ん・・・なお話だと思うのですが、実はそのことがいろいろな身体に影響を及ぼすのですね。例えば血尿とか腹痛を生じたり、最悪の場合には腎機能不全を生ずることがあると言われています。

ほんのちょっとずれただけなのに・・・

多様性と均一性

5月31日 日曜日

5月も終わり明日から6月です。ミネアポリスの事件がほかの地域にも影響を及ぼしているようです。各地で抗議のデモが起こっているとの報道です。LAでも外出禁止令が出ているとか。アトランタでも、フィラデルフィアでも、コロナの次は抗議デモ・・・アメリカは揺れていますね。これちょっとやそっとでは収束しないような感じがします。Justiceという言葉が試されています。複数のethnicityが暮らす国ならではの苦悩でもあるのでしょう。多様性が重んじられる国で起こる騒乱を鎮めるためには、高度に知性的な牽引力が必要となると思います。一方で私たちの国では均一であることが時として美徳とされます。感染症の終息にはこの均一性は良い方向に作用していると思いますが、これは時として同調圧力となって人々の心を蝕むものでしょう。普段接している患者さんたちの生活も、大変に大きな影響を受けておられると感じています。壊れかけた日常生活を皆が取り戻していくことができますように・・・

 

 

 

rebellion

5月30日 土曜日

昨日は朝から米国ミネアポリスの騒乱の動画を見てちょっと放心状態となった。大げさかもしれないが、いろいろと辿ってみると留学中に車で通った街並みも垣間見えたので、なおのこと悲しい気持ちとなる。今回の騒乱は、偽造紙幣に絡む犯罪で拘束された黒人の容疑者がその喉元を警官に踏みつけられて死亡に至った事件がきっかけとなっている。その後暴動や略奪が起きて、ツインシティと呼ばれる街ではあちこちに小火が立ちのぼり騒然とした雰囲気を見せている。この手の報道に接すると、アメリカという国はやはり人種差別や銃の問題がそのアキレス腱なのだなと思わざるを得ない。CNNが都市の封鎖の現場をリポートしているそのオンエアの最中にリポーターとクルーが逮捕されていく場面もなかなかに衝撃的である。半袖半ズボン姿のプロデューサーも手が後ろに回されているが、みな堂々と振舞っていた。記者魂というのであろうか、おそらく内心(これはネタになるぞって)微笑んでさえいるような感じだ。議事録一つ公開できない国との差はとても大きい。大統領のツイッターアカウントも混乱しているようだ。テイラースイフトも声を上げているね。トラさんの言動は、こういった社会情勢に対して収束を呼びかける方向と正反対のビーンボールに近いものであると断ずるべきであろう。あまりに前任者との落差が大きいなと思うのは私だけではないだろう・・・。

人種差別問題を目にしたり耳にするたびに、齢50歳でこの世を去ったマイケル・ジャクソンのことを連想します。世界的ベストセラーアルバムをこの世に送り出し、黒人で初めてMTVで取り上げられたこの偉人の遺したオックスフォード大学でのスピーチを何度か聞きました。スティーブジョブズのスタンフォードでの講演と双璧をなすものだと思っています。容赦をしない数多くの誹謗中傷にさらされたマイケルや、エイズによって命を奪われたフレディー・マーキュリーなど、今の時代に生きていたら・・また違う評価を受けていたような気がします。いやいやもちろんすでに偉大な評価を受けてはいるのですけど、常に彼らには影の部分が大きく取り沙汰されていたと思うのですよね。内面はナイーブで、情け容赦ない批判に弁解の場が十分に与えられなかったと思うのです。SNSなんかがあればまた救われることもあったのではないかな~なんて想像は膨らみますね。マイケルの”They dont care about us”とフレディーの”I want it all”は元気を出したいときにいつも聴いています。

フルボリュームでね!! それでは今週もあと一日、頑張って働かねば‥ネバ

 

意思表示の大切さ

5月29日 金曜日

私はこう思いますとか、私はその意見に賛成です、あるいは反対ですとかいう意思表示が昔から苦手でした。よくわからないということもその理由の一つだったのですが、一応思うところはあるのだけれど、それを満天下に宣言するのに躊躇してしまうという気持ちがその大きな理由の一つでした。今でも優柔不断で、ちょっとしたことでくよくよと悩んでしまう性分は、昔からの自分を引きずっているように思います。この数年で、ようやくそういった過去の呪縛から逃れてきているような気がしています。ところで!最近オンライン会議を何度か経験しているのですが、画面を通じてやや大げさに意思表示することがこの媒体でのコミュニケーションをスムースに進める一つの方法ではないかと思いました。公的な会議ではさほど必要であるとは思わないのですが、対談や鼎談をウェブで行うときには、他人がしゃべっているところで同意できる部分には、うんうん!!って頷いてあげるとコミュニケーションが進むなあと感じました。よく芸人さんが、オンライン漫談なんかをするときに、観客からのリアクションが全く分からないのがつらいっておっしゃっているのをよく聞きます。オンライン対談でも自分の意見に同意してもらっている雰囲気をなかなか感じ取るのは難しいなと思います。顔を突き合わせていると、何となく自分の意見を好意的に聞いてもらえているかどうかは肌身で感じることができると思うのですけど、画面の雰囲気だけでは十分に感じ取ることができないのです。ということで・・画面ではやや大げさなくらい頷いたり、ブンブンって首を振ったり、オーバーリアクションしてあげましょう。

それでは・・・今日も皆様にとって楽しく明るい一日になりますように、Thank God its Friday  !!

良い制度づくりを

5月28日 木曜日

小中学校、高校も授業が始まっているようです。一時期(今も?)よく話題になっていた”9月入学制度導入”も慎重論が出ていると聞きます。9月入学制度の理由付けとしてよく聞くのは、諸外国に倣って・・ということが挙げられるでしょう。確かに海外に留学したり、逆に留学生を受け入れたりする際にはそのギャップが少なからず障壁として存在するのだと思います。よく考えると、私のたどってきた医学部教育制度、医師養成の制度も各国でかなり相違があります。例えばアメリカでは、医学部入学までには一般の四年制大学で、物理化学とか社会学心理学などの履修を終えて卒業(undergraduate)してから、医学部入学のための専門的な試験に合格して、メディカルスクールに入学し、そこで4年間を過ごさなければならないと聞きます。専門的な高度な学問を履修する前には、いわゆるリベラルアーツを学び、さらに医学部入学に際してはMCATという専門的な試験でよい成績を収めなくてはならないだけではなく、人間性や倫理観、ボランティア精神などの評価も推薦書や面接で検討評価されるということです。日本では、高校卒業と同時に医学部入学をして6年間を過ごします。最近では、より早く前倒して専門的教育がなされるために、一般教養課程は削られる傾向にあります。医学部教育を受ける年齢が18歳と22歳と聞くと、さほど違いがないと思われるかもしれませんが、その頃の4年間って自分に当てはめて考えると精神的な年齢として相当異なってるのではないかなと考えたりもします。いったん医学部を卒業して、国家試験に合格してから専門医となるまでの制度になると、さらに両国間では差異が大きくなってきます。もちろん私たちの国独自の良い点とか、他国の制度で見習うべき点とか様々あって、どちらが良くてどちらが良くないということではありませんが、教育システムというものはその国の方向性がかかっていると言っても過言ではないと思います。もちろん良い制度にはそれなりに経済的投資も必要となるでしょう。ある意味、教育と福祉にかける予算はその国の豊かさと比例しているのかもしれません。

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