京都府与謝郡与謝野町 内科・外科・リハビリテーション科・在宅診療 いとうクリニック

ふくろうくんのブログ

a day to be remembered

8月6日 火曜日 くもり時々晴れ時々雨

自転車通勤の人には悩ましくも、予想のできない天気が続いています。毎日の洗濯も大変なのではないでしょうか。例によって長らく更新をサボっておりました当ブログです。開けて下さった皆様すみません。トップ頁にしねしね団を晒しておくのはいかがなものかと気になっていながらついつい・・

さて、今日8月6日は広島の原爆の日です。市長の宣言文をじっくりと読んでみました。夏休みのまっただ中、すこし街の喧噪を逃れて、68年前の過去の出来事に日本人一人一人が思いを至らせ静かに過ごしたいものだなあと思います。もちろん9日と合わせて、我々にとって20世紀最大の忘れる事のできない日です。毎年この時期には何か関連する書物を読もうと心がけているのですが、今年はまだ何にするか決めきれずにいます。先日テレビでさまざまな国の言語に翻訳されている「はだしのゲン」が紹介されていました。小学生の頃に友達から借りて読んだ事を思い出します。皮肉にも昨日には在沖米軍のヘリコプターの事故も報道されていましたが、最近沸騰している改憲論議なども国民の一人として真剣に考えないといけないテーマでしょう。昨夜の報道では政府および米軍 VS 地元の声の対立に焦点が当たっていましたが、それも大事なのですが(それは今さらに始まった事ではありませんね)、軍の方が一人亡くなっておられるとも聞きます。ご冥福をお祈りしつつ沖縄の今後についてしっかりとした対策を講じて頂きたいものだと思います。

New comer

新しい診察室のキャラ登場!!シーサーズ(複数形にする必要なし??)と2匹目(2頭目?2人目?)のさるぼぼクンです。よろしくっ

同時代を生きるひとびと

7月26日 金曜日 お昼にどしゃ降り

お仕事が一段落してテレビをつけると復活したサザンのメンバーが歌ってました。「ピースとハイライト」を聴いていると、ストレートに心に響く感じでした(かなり社会的メッセージ色の強い歌詞でしたが)。同じ時代を生きていると、ある程度人間の心って同じ方向に振れていくのだろうかなあと感じました。たまたまその振れる方向には左と右と異なる方向があって・・・(別に右翼とか左翼とかいう意味ではないのですけれど)。そうすると、ふと同時代を生きる人同士の感覚っていうものは、昔の時代はどういうふうに培われたのだろうかと考えてしまいました。今でこそ巷にはメディアの情報というものが氾濫して、同じ映画を見たり、同じ歌を聴いたり、同じニュースをリアルタイムで見たりするので情報共有の方法には事欠かないわけですが、それこそテレビやラジオや新聞すらなかった時代の人たちはどうしていたのでしょうか。人づての情報収集であったり、えらい人ならそれこそ遣いの者を差し向けたりしていたのでしょうか。今でこそ歴史の教科書で同時代人として扱われている人たちも、意外にその当時はあまりお互いを知らなかったりする事ってあったのかもしれません。さすがに西郷隆盛と坂本龍馬は差し向かいで話をしていたのでしょうけれど、土方歳三と福沢諭吉と岩崎弥太郎は同年生まれの者同士ですが、かたや尊王攘夷運動に命をかけて新しい時代の幕開けと共に散って行った者もいれば、かたや維新、倒幕運動にもみじんの興味を抱かずにひたすら学問の道を究めていった者もいて、もしかすると当時お互いの存在を知らなかったなんていうこともあり得るのではないでしょうかね。いったいこういう時代に生きた人々が共有する時代感覚というものはどういうものだったのでしょうかねえ?でもそんな非・情報共有の時代だからこそ、100人もの人々の決起意思が1年もの間、表沙汰にならずに秘密を守れたわけなのですよね、赤穂浪士の事件って。まあ最終的には47人の間の秘密に落ち着いたわけですけれど・・・。

同時代のひと集まれ〜ってことで、第一問。レインボーマンの悪役は?そう死ね死ね団ですね。ボリューム絞り気味でどうぞ。いまならおそらく放送禁止でしょうこれは・・・(苦笑)。ところでレインボーマンの師匠のダイバダッダって実は、仏教では極悪人だった人だそうです。

ちくわ

7月24日 水曜日

夜にほんの一瞬雨が降っていたように思います。その少しあとにドドーンと花火らしき大きな音がなっていたようにも思います。花火と言えば、泣く子も黙る夏の風物詩ですが・・・ウチのチビちゃん達はといえば、”泣く子もより泣き叫ぶ”夏の風物詩、かつ親としてのトラウマだったのでありまして、南丹の花火で大泣きし、ミネソタ州ロチェスターはシルバーレイクの花火でやはり大泣き。なのでいまだに、宝ケ池の花火が聞こえても、少し家族皆の顔色を眺めてから反応すべきかどうか考えてしまう性が定着しております。伊坂幸太郎のスランバーランドという小説にも花火師が登場していましたが、まあ日本人の心に打ち響く、蚊取り線香と夏花火であります・・・。何やら訳の分からぬブログになってしまいました。

ちくわ

ちくわ・・・魚のすりみをぺたぺたと竹の棒に貼付けて焼いたものですが。おいしいですね。輪切りにして(まあ竹輪を切るとほぼ必ず輪切りになるわけですけれど・・)、チャーハンに入れたりするだけでも美味しいですし、輪切りをそのまま炒めて、味の素を振りかけるだけでも絵になります。だれが考えたのでしょうか?魚をすりつぶして・・・棒にぺたぺた貼付けて・・・焼く・・などということを。

人の話を聴くこと

7月23日 火曜日 曇り

選挙も終わり世の中はまた静けさを取り戻しました。テレビなどではもうここぞとばかりに、開票特番などをやっていたようですが、そこからがスタートなのですよね。国民みんなで選んだ代表者の方が、本当にみんなに有意義な政策を立案して法律に形作ってくれるのかどうかウォッチしていくことが、開票速報のインタビューよりも遥かに大事な事だと思います。国民皆保険が本当に維持されて行くのかどうか?いつでも誰でもアクセスし易い医療制度が維持されて行くのか?医療従事者である私も目を皿のようにしてみて行かねばと考えております。メディアは盛んに、ねじれ解消を連呼しておられますが、本来衆参両議院が存在する二院性の意味は、お互いがお互いの暴走を食い止めて、一方的な方向に走って行くのを抑止することにあるわけで、よくよく考えるとねじれを前提とした政治制度なわけです。これを考慮に入れると、現在の一党単独飛行を許してしまいかねない体制はやや危ない側面もあるのではないかなあと思います。チャーチルでしたでしょうか?民主主義は最悪の制度である、その他に現存する社会体制をすべて除けば・・・という言葉があったように記憶しています。額面どおりうけとるならば、民主主義とは一人あるいは一党の暴走が起こらぬように、急激な社会制度の変革に晒されないように、いわゆるless worseの選択を行うのがその本来的意味という事になると思います。果たして現在の我々は、即決、効率、スピードこそ命・・・という論理に毒されすぎていないと断言できるでしょうか?

新入りクン

新入りクンです。この間までとてもお世話になった方より頂きました。私自身もとても勉強になった数ヶ月でした。どうもありがとうございます。あ、またまたタイトルを考えていた時のことを忘れてしまいました。今日はラジオで”今宵ロックバーで”という番組を聞きながらこれを書いていたのでした。ラジオっていろんな事を考えながら、想像力たくましく楽しく聴く事ができるのだなあと、最近のマイブームです。色々と好きな番組もありますけれど、またの機会に・・。

努力・辛抱・根性

7月18日 木曜日 晴れ

東京大学解剖学教授であった養老孟司先生の著作を読んでいます。まだ途中なのですが、ふむふむなるほどなどと頷きながら半ばまでやって参りました。解剖学者なのですが、同時に昆虫好きとして世に知られている先生の物言いは、時にシニカルで斜に構えておられる印象だったのですが、その著作の方はと言えば、気持ちのよいくらい言い切りの連続で、そこまで断言して良いのだろうか(おそらく意図的にそうされているのでしょうけれど)と思う事しきりです。実は日本は世界に誇る資源国家だったのですというのはまさに卓見だと思いました。こうすればああなるという経済学的思想(脳の思想)と正反対に、環境重視の思想は身体の思想であると述べられています。私の要約がへたくそなのでおそらく何の事かと思われるでしょうけれど、まあ皆さんご一読あれ。直接的な何かが得られるものではないと思いますが、読んだ後にはほっこりと何かが心の中に生まれる事でしょう。日本人は「手入れ」が得意で、自然と共生しながら生きてきたこと、その過程では努力と辛抱と根性が培われてきたのだという事。古代中国の老荘思想とも通ずる考え方を理解することができます。

往診途中

芥川賞と直木賞決まりましたね。今年のは2作とも読んでみようかなあと思っています(文庫化されてから・・・!?)。

1028分の1

7月17日 水曜日

外科医は器用でないといけないのか?医学部を卒業して専攻科目として外科を選ぶ時に、誰も一度は考えた事があるのではないかと思います。私も当時はそれが結構自分としての大問題と思っていろいろ考えていたのですが、今なら少し違う考え方をすると思います。合わなかったらやり直せば良い。何か始める時には、そう考える事は消極的な気がして躊躇するものです。 その当時は、いざ外科医になってみて、手術が目も当てられないくらい下手くそで役に立たないとわかれば、国境なき医師団に参加して何か役に立つ事を探そう、とまで考えていました。今考えれば、なにもそこまで飛躍せずとも、他にいくらでも道はあると思うのですが、若い時ってそういう極端な考え方になってしまうものかもしれません。外科医は器用でないといけないのか?という問いに対する答えとしては、器用であるに越した事はないけれど、それほど器用さは必要不可欠な条件ではない、というのが私の現在の考えです。もっと他に大切なものがあると思っています。

Kuma

たびたび利用する京都市内北部を走る叡山電車、いわゆる”えいでん”ですが、そのつり革にハートの形をしたものがあるそうです。すべての車両の中にあるつり革の中で、たった一つだけあるらしいのですが、どの車両の、どこにぶら下がっているのかは、当日まで運転士さんも車掌さんも知らないのだとか・・。働く方にとっても毎日の密かな楽しみになっているのでは?(実物はやや洗練さに欠けている気がしないでもないのですが)

うさぎ美味し、かの山・・?!

7月15日 海の日

今日は、国民の祝日に関する法律によると、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」のがその趣旨であるそうです。7月第3月曜日がまさに今日なのですね。海の日があるのならば・・・いっそ山の日をこしらえても良いのでは?などと思うのは私だけでしょうか。市内と丹後半島を往復するその道のりで、車窓を流れてゆく風景の6割いや7割は、豊かな緑の日本の里山の景色です。むろん運転しながらじっくりと眺めることは出来ないのですけれど、ぽつんぽつんとたたずむ集落の灯が、夕暮れ時に映える町並みはのどかなものです、が・・鎮守の森に氏神さまがあって、学校と診療所と郵便局のあるのどかなかつての村は、インターチェンジの脇にコンビニがあって、学校の跡地とデイサービス施設と看板の降ろされたタバコ屋さんにとって変わりつつあるような・・。都市と地方が共存しながら栄えていく国づくりを考えていかないといけないですねえ。

棚田

子供の頃に遊んでもらった町の子ども会で教わった「ふるさと」のうたの振りつけを、何故か今でもよく覚えています。うさぎ追ひし、と理解したのはそれから少し時間がかかりましたが…

ワクチン問題 その3

7月12日 金曜日

先日もいわゆる子宮頸癌ワクチンの相談を受けました。あまり自分でもよい説明ができたとは思えないのですが、ひとつの情報として・・・

http://www.know-vpd.jp/news/1499.php

インターネットは色々な情報が氾濫し、まさに玉石混淆と化しています。ネットの時代は取捨選択の時代でもあるのですね。新聞とテレビだけに頼っていれば何とかなっていた時代の方が楽チンだったのかもしれません。いやきっとそうだったに違いない・・・。ネット選挙とかだって、それほどの革命的なことなのかどうか私には良くわかりません。誹謗中傷などを取り締まるための、サイバー監視会社が繁盛している事だけは確からしいのですが。

Youarebeingwatched

needless to say…..

愛国心

7月9日 火曜日 真夏日

先日高校の一年上の先輩からメールを頂戴した。その先輩は僕が入学したとき(先輩は2年生)には、僕の方から見下ろす感じであったのだが、卒業する頃には遥かに先輩のことを見上げるまでに成長なさっており、おそらく高校3年間で30センチほど身長が伸びておられたのではないかと思う。もうその頃から30年もの歳月が経過したのだなあと何となく感慨に耽っていて、ふと30年前は何をしていたのだろうか、どんな出来事があったのだろうかと考え調べてみた。もちろんまだ携帯も電子メールも無かったし、インターネットなどもおそらく生まれる前であったろう。自家用車のドアミラーはボンネットの両端にちょこんと付いていたし、プラザ合意前の為替レートは、1ドル200円を優に超えていたと思う。入学した1983年は前年度に発足した中曽根政権の2年目で、自民党の代議士であった中川一郎氏の自殺で年が明けている。のちに人気テレビ番組となったTVジョッキーが始まり、青木功が日本人で初めてアメリカゴルフツアーで優勝を飾ったのもその年である。冷戦構造まっ只中の米ソ対立にあって、レーガン大統領は一般教書演説で、ソビエトを名指しして悪の帝国と発言していた。アクエリアスやカロリーメイトが発売開始となり、NHK朝の連ドラでは国民的人気を博した「おしん」が流れている。悪いニュースとしては、戸塚ヨットスクール事件や、大韓航空機爆破事件などもこの年に起こっている。2年生に進学した年には、あまり大きな事件はなかったようだが、あっという間に3年生となり、一応現役で大学合格を目標にしていた私は、夏休みには毎日大阪大学の石橋キャンパスにあった図書室に通い勉強していたように記憶している。別に図書室で誰かと落ち合うわけでもなく、自宅学習すれば良さそうなものであるのだが、受験生には何となく気分転換が必要なのもご理解頂けるのではないだろうか。リュックにはオレンジ色の「新体系物理」と、赤と白のガリ版刷りのような本文の「大西の有機化学」と、「大学への数学」という、ややオタク系の雑誌が詰め込まれていた(はず)。そんな1985年の夏はあっという間に過ぎる筈であったが、図書室での勉強を終えて「おニャン子クラブ」を見に帰ろうとして帰宅した8月12日の夕方、帰宅後のテレビはテロップで日航機123便の失踪を伝えていた。翌年大学に入学した年は、いわゆるバブル景気の始まりであり、全世界を席巻していったソニーやホンダ、日産などの日本ブランドが、その後隆盛を誇っている。女子大生は彼氏のプレリュードに乗って、恋人はサンタクロースをBGMにマハラジャに通い、ホイチョイプロダクションは原田知世と三上博史を起用して「私をスキーに連れてって」を作り、オッサンはシーマやソアラといった国産高級車を乗り回していた。残念ながら私には、あまりこのような現象のおこぼれに預かる事ができたという記憶がないのだが、何となくウキウキとした時代の流れには乗っかって生きてきたのである。その後はといえば、住専の破綻とともにバブルがはじけ、あれよあれよという間に日本企業はサムスンやヒョンデに置き換わって行った。海外旅行に行けばホンダとトヨタと日産ばっかだったのが、いつの間にか時代は変わったのである。こうしてよくよく考えてみると、私たちの愛国心とは・・・どこの国に行っても目にした日本のトップブランドに象徴されるように、高性能と高い完成度のデザインに象徴される自動車や電気製品に誇りを感じながら生きていたように思われる。そして今、国旗国歌法案や美しい国が声高に叫ばれる中で、我々世代以上の年代の人々がかつて愛国心のよすがを見ていた、今では失われた日本ブランドの中に、日本勃興再びの夢を見ているような気がしてならない。しかしながらよくよく考えてみると、日産はカルロスゴーンに、ソニーはハワードストリンガーにCEOの座を明け渡しているし、ファミリービジネスとして頑張っているトヨタでさえも外国人持ち株比率は30パーセントに到達しようとしているのである。こうなるともう彼らの国籍は日本と呼べるのかどうかすら怪しいものである。それでもなお、我々は、これらの企業をバックアップする事で、あの頃の日本よもう一度とすがりついているようにさえ思われる。しかし既にグローバル企業は国境を越えて、われわれのあずかり知らぬ、異次元のフェーズに突入していると言えよう。もう企業は、終身雇用はしてくれないどころか、非正規雇用の枠を拡大し、あわよくば世界同一賃金などというワードを作り出してその人件費を縮小化しようとしている(ように私には見える)。そして何か気に入らぬ事があると、「ならば我々は日本という国から出て行くぞ」という脅しともとれる言葉を発信しているのである。何も私は、それがいけないと言いたいのではなく、そういう企業を批判したいのでもない。むしろそのような株式会社の振る舞いは至極当然の事であると思っているし、ソニーやトヨタや日産には華々しく活躍をしてほしいものだと願っている。そして日本全体の景気が良くなってほしいものだと心の底から希望している。しかしそれはそれ、目の前の事あるいは国としての政策を考えた時には、やはりグローバル企業の向いている目先とは異なった目線で持って対処してほしいと願っているのもまた事実である。何よりも問題なのは、我々の心が、変わりつつあるグローバル企業の実態から目を背け、或は見て見ぬ振りをして、旧態依然のような経済至上主義を繰り返すことによってしか、現状打破の道はないと考えている事にあるように思えるのである。

なぽれおんず

長くなってしまった。わかる人にはわかる(?)この写真でしめることにしよう・・・。

 

ほうれん草が嫌い!?

7月8日 月曜日 梅雨明け

「日本には経済や国家観を語る歴史家がいない。」最近たびたび耳にする言葉である。平川克美さんなどは、今メディアに引っ張りだこの経済学者あるいはコメンテイターには、それこそ経済だけしか見ていない、近視眼的なものの考え方をする人が多すぎると述べておられる。多くのアンチグローバリストの方便としては、①日本の国民総生産の約6割は国内消費で占められているという事実がある②故にその1割しか占めていない貿易収支で、いくら輸出企業を応援しても仕方がなく、国内消費を上昇させる方策に目を向けるべきである③しかれども、国内消費の担い手である日本の人口は右肩下がりのフェーズに突入しておりこれはどうしようもない事実である。少なくとも30年後には高齢者が、そのまた高齢者を養わねばならないという現実に直面するのである。ここにはどう考えても国内消費量の増加は見込めないであろう④しからば、30年後にもサステイナブルな経済成長などというものはあり得ないではないか。というのがその論法である。私はこの論法を否定するすべを持たないものであり、アンチグローバルなものの考え方を支持する所以がここにある。もちろん色々な意見が他にある事は承知しており、それを無下に否定するつもりも無いが、私は種々の物事を考えて行くその土台は、これに立脚していきたいと考えている。一方でグローバリゼーションは世の流れとして仕方のないものであり、この流れに棹さす事にまったくやぶさかではない。一開業医に経済がそれほど大事な事なのかとお考えの諸氏もおられると思うが、医療と経済は切っても切れない関係があり、医療人たるもの経済にある程度精通しておく事はとても大事な事であると思っている。経済の大きな流れで、一番に切り捨てられがちなもの、それは弱者であるからである。病に伏せる人々、それは弱者の最たるものであると考えるからである。社会福祉の担い手である医師たるもの、弱者の側に立ってつねに物事を考えなくてはならないというのが小生の数少ない持論である。そんなこと言いながら、Mバーガーは大好きであるし、往診途中で一休みするコンビニのイートインコーナーでのひとときがささやかな楽しみであったりするのだが・・・。

おべんとう

世のお母さんの大変さを体験しましょうということで・・・お弁当作りに挑戦しました。まあ野菜とお肉を切って炒めただけのものに、ミッフィーかまぼこという飛び道具を使用した安直なものでありますが。

タイトルは何だったのでしょうか??そうそう、良く新入生や新入社員への言葉で、”ほうれん草を大切にしなさい”なんていうのがあるのですけれど、私はそれが今イチ好きになれないなあと思っていたのでした。ほうれん草って何じゃらほい?と仰る方もおられるかもしれませんが、いわゆる報告(ほう)連絡(レン)相談(草)っていうことですね。研修医にもこういう指導はたびたびなされる事があるのですが、研修医といえども立派な社会人なのですから、何を”ほうれん草”すべきなのかっていうことを自分の頭で考えて判断できなくては困りますね。すなわち「ほうれん草を大事に実行しなさい!」ではなくて何をほうれん草すべきなのか「自分で判断できるようになりなさい」というのが真に大切なメッセージであるべきなのではないかと思うわけです。であれば何もほうれん草などとおもしろおかしい比喩を用いなくても良いのではないかなあと・・。それよりも、こういう指導の背景には、ワシに相談も無くこんな事しよってからに・・っていう含意が込められている事が多いので、そういう父権主義的なものの考え方をするマッチョな指導医にもついて行けないのであります(困)。

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