4月1日 木曜日

いよいよ今日から新年度が始まります。3月に卒業式を終えて、春が来て、暖かくなって桜が咲き、予算年度が終わり、入学式を迎えて、職場では人心一新のもとで新しい年度が始まるというこの時期です。昨年の一時期、学校休校の期間に、9月入学制度への移行が話題の俎上にのった時期がありましたが、なかなかこの私たちの心に染み付いた”4月から新しい年度”メンタルは払拭しにくいのかもしれないなと思っています。今日は1日、騙されないように気をつけねば・・・診察をしていても、3月中頃から、4月からの大学生活や就職生活に備えて、健康診断とか予防接種にみえるお母さんと子供さんがおられます。開業して9年になりますので、現在二十歳の方も初診のカルテを見ると小学生の時のものだったりします。大きくなられたなあと思いながら、新しい生活に馴染まれますようにと願わずにはいられません。なんとも微笑ましいものです。医療や介護の関連の学校や職場などの場合には、過去に接種した予防接種の履歴とか、検査した抗体価に応じて対応しないといけない場合もあります。こう言う時にも母子手帳が活躍してくれますので、大事に記録保存しておいて頂きたいものです。さて、新年度です。みなさん気持ちを新たに一日頑張ってみましょー

 

 

おまけです・・・先日からなんども読み直している「推し燃ゆ」ですが、印象に残っている(好きな)一節をちょっとご紹介したいと思います。

引用はじめ(推し燃ゆ 宇佐美りん著)

「散々、道に迷い、バスを乗り間違え、パスモを落としそうになった。最寄駅に着いた頃には二時になっていた。家に帰った。帰っても現実が、脱ぎ散らした服とヘアゴムとレジ袋とティッシュの空き箱とひっくり返った鞄があるだけだった。なぜあたしは普通に、生活できないのだろう。人間の最低限度の生活が、ままならないのだろう。初めから壊してやろうと、散らかしてやろうとしたんじゃない。生きていたら、老廃物のように溜まっていった。生きていたら、あたしの家が壊れていった。」

引用おわり

小説のクライマックスのシーンの一部です。どうも私には「本当はこうしたいのに、こうしようと思っていたのに、なんでこれしかできないんだろう・・・」みたいなフレーズを好む傾向があります。この一節もまさにそんな感じでした。文に戻って、その後あたしは、部屋の中にみえる、目の前に散らばっている色んなものから「綿棒」を選んで、ぶちまけてしまいます。液体の入ったコップとか、食べ残しのどんぶりではなく、”より始末しやすかった” 綿棒を丁寧に拾い上げながら、あたしはその先に人生の長い道のりを眺めている・・・と言う場面で物語が終わります。島田雅彦さんの言う「この小説の偏差値の高さ」は、このスマートな結末にあるのかもしれません。一方で、収まりが良すぎるのだと言う意見もあるようです。