京都府与謝郡与謝野町 内科・外科・リハビリテーション科・在宅診療 いとうクリニック

ふくろうくんのブログ

体育会系という言葉の裏側

2月13日 水曜日 やはり雨

気温は思ったより下がらなかったですね(ですか?・・・何となく吉本のギャグのような感じですが)。女子柔道のことが院内でとっている週刊誌に載っていました。ずっと何となく気になっていた話題ではあったのですが、体罰の問題とかとともに昨今クローズアップされています。ともすれば、テレビなどではコーチ一人が、あるいは指導者側が糾弾されて終わり・・になってしまいがちな論調なのですが、この問題の根っこは我々の何気ない気持ちの中にも存在しているのではないかと思っています。大学の時には何のクラブをされていたのですか?えっ、体育会系ですか?すごいですねえ〜という何気のない会話(ですが、よく耳にします)にも、何となく私たちの潜在意識が潜んでいます。[そんな、厳しい世界に耐えて来られたんですね・・]あるいは、就職活動でも体育会系で鍛えられた学生は、中途半端に成績の良い学生よりも就職が有利であるとも聞きます。そんな厳しい世界でやって来られたのですねえ、という言葉の裏側には、そういった世界への賛美が少なからずも込められているし、厳しい事を耐え抜いて来る事ができなかった人へのいわば差別のような意識が包含されているように思います(あ、体育会系イコール体罰ではもちろんないわけですが・・あくまでも抽象論としてお聞きください)。とにかく、この世はできた人への賛美と裏側に、できなかった人への配慮が失われた世界になってはいないかなと思うわけです。開院当初にある中学生の女の子がクリニックを訪れました。一年生になりたてのその女の子は、小ちゃくて、牛乳を飲むのが大の苦手で、所属している某文化部では、結構厳しい練習を強いられていて・・。心の中で『がんばれよ〜』って思ったのを覚えています。その後彼女を見かける事はないので、きっとたくましく中学生生活を楽しんでいる事と思いますが・・・。弱肉強食、自由競争のこの社会ではありますが、できる人を讃える事と共に、できない人へのエールをしっかりと送りたいものだなあと感じる今日この頃であります、マル。

いたみjuzo

今日はこれで過ごす事としましょう(^-^)

地雷を踏んだらさようなら・・

2月12日 火曜日 しとしと雨

日曜日の午後は撮り溜めておいたテレビ番組の録画を見ました。本名アンドレ・フリードマン、ロバートキャパと言えば何人かは頷くであろう戦場カメラマン(報道写真家というのが良いのでしょうか)のノンフィクションものでした。少し前の文芸春秋でしょうか、作家の沢木耕太郎さんがロバートキャパの写真について一遍の論文を掲載されている事は知っていたのですが、たまたま数週間後にそのおそらく関連であろうと思われるタイトルのドキュメンタリー番組を流すという事でした。キャパを一躍有名にした『崩れ落ちる兵士』というスペイン戦争の時に撮られたという一枚の写真をめぐる番組で、流れとしてはその写真が真に彼の手で撮影されたものなのかどうか?という疑問から始まるのです。事の真相もさることながら、彼の運命(あの史上もっとも激しい応酬であったとされるノルマンディー上陸作戦に従軍し撮影に挑んでいます)やベトナム戦争で地雷にやられて迎えた最期に至るまでの人生に、長い目でスポットライトを当てた興味深い番組でした。従軍カメラマンという一種芸術家のように数奇な運命を歩む事を余儀なくされた、何となく切なく哀しい彼の足跡にとても興味を惹かれるものがあります。それでいて彼の著作『Slightly out of focus(ちょっとピンぼけという邦題)』は非常にユーモアやウィットにとんだ名著のようです。この1週間はこれにはまりそうです。

キャパ

ちなみにタイトルは、日本のカメラマンで同じく戦場でなくなった一ノ瀬泰造さんの有名な一節です。現代に住む私たちが彼らの作品や生き様から学ぶべき事とは・・・考えさせられます。

予防できること

2月6日 水曜日 雨

相変わらずばたばたとした1日です。果たして自分の持っている力がすべての患者さんに有効に使えたのかどうか・・・はなはだ疑問なものです。もっと努力しなければなりません・・。

ヘルペス 予期せぬ時にやってきます、ね、Nさん。帯状疱疹という病気なのですが、これはもともと子供の頃にかかる水ぼうそうという病気にその原因を遡らねばなりません。そのウイルスは、治ったあとも脊髄神経根という場所に潜んでおります。そもそも脊髄脳関門と呼ばれるバリアの機構で、その部位にはウイルスを退治する抗体の効果が及ばないために、ウイルス達はぬくぬくと安住の地をそこに定めておるわけです。そして、何十年か後に活動して、痛みを伴う水疱(水ぶくれ)を生じてくるのですね。一旦活動を再開すると神経に沿って活性化するので、いわゆる神経痛を伴う非常に辛い病気を引き起こす事となります。ちなみに口の周りにできるヘルペスはこれとは種類を異にするもので、同じヘルペスでも違う病気であります。そもそも水ぼうそうにかかる事がなければこの病気に悩まされる事はありません。水ぼうそうワクチンでそれを予防する事ができます(公費で行われると良いですね)。さらにアメリカでは、その後の帯状疱疹(『ヘルペス』)のワクチン(ZOSTAVAX)も施行されています。もちろん予防接種には功罪があるのではありますが・・・

ユーミンの曲、人気投票がネットで行われていました。私はこれですね。歌い手さんは元ハイファイセットの山本潤子さんです。これがいい・・・!

ジキル博士とハイド氏の教えてくれること

2月5日 火曜日 天気はハテナ

外来を集中してこなす事がときに難しいのである。時間が限られている事がかえすがえすも腹立たしい。これを成し遂げるにはかなりの集中力が必要である。集中力がないのを嘆いて、それを克服するには集中力が必要である・・何とも論理的に崩壊していると思う、我ながら。しかし日常を過ごすという事はこういう事の連続なのではないかなあと、ふと考える事がある。”ダブルバインド”・・・心理学で言うこの物事の現象はつまり『あちらを立てればこちらが立たず』というような事になるのであろうか?人間として日常を生きるということは、こういう事に自分なりの折り合いを付けながらまあなんとかやっていくという作業の事であろう。これに耐えられずに、利口と野蛮を切り離してしまったジキル博士とハイド氏はやがて破綻していったのである。旨い方策などはない、と考えておくのが正しい。それでも皆、何とか頑張っているのだ。頑張った人が報われる国を作る前に、まずは、みんなが頑張れる社会を作ってほしいなーと思うのだが、おなじような事考えてる人は・・・見回してもあまりいなさそうである。

スカイツリー

東京からの帰り道、『あ、そういえばスカイツリーってみんな行く場所だよな』と思いながらタクシーの窓からきょろきょろすると・・・見えましたよ。どれかわかります?先っちょだけちょこっと見えてます。せっかく東京に行ってるのに〜??だって、全く興味がないんですよね〜こういうのに。

あしたはまた雪だるまマークが丹後半島に踊っています。早めに就寝して明日に備えましょう!!doki doki – waku waku 

根源的な問題?

2月4日 月曜日 立春

柔道の選手が柔道連盟に訴え出たというニュースが流れていました。告発の文書はそれはそれで考えさせられるもっともな内容なのですが、これは私たち全員の心に問いかけねばならない問題であるように思いました。ニュースや新聞の報道では、あたかも柔道連盟やオリンピック連盟などに対する疑問符で語られているのですが、そんな事を言えた立場なのかなと思う点もあります。ジャーナリストの江川紹子さんは仰っています。『報道関係者は柔道の取材をしてきた過程で、大なり小なり今回の問題についてはわかっていた筈である』と。確かに仰る通りのように思います。薄々?気づいていた筈なのに、それを取り上げて問題視しようとする取材者は皆無であったという事なのではないでしょうか?まあ、それはさておき、強者(この場合は指導者である)の弱者に対するこのような対応はそこかしこに潜んでいるように思います。学校での体罰問題も然り、いじめ問題も然り、胸に手を当てて良く考えてみると、我々医師だって患者さんに対してこういう姿勢で接する部分は多々あったのではないかと思います。いわゆるパターナリズムと呼ばれる医師–患者関係ですね。とにかく、今回の事は単に柔道の世界の事だけにしてしまうのではなく、ひとりびとりの問題として考える良い機会なのではないかなあと思う今日のニュースでありました。

DM食

日曜日は東京で糖尿病のセミナーに参加してきました。食事は三食とも糖尿病食のデモンストレーションの体験です。一見豪華に見えるのですが何とこれで500キロカロリー強です。根菜や野菜を工夫して調理に生かすのが一つのミソのようです。ま、毎日これだけ手の込んだ調理方法ができるかと言えばかなりハードルは高いかもしれません・・・。

そういえば、糖尿病の患者さんだってそうですね。自分のご病気について医師が思うほどすんなりとすべてを受け入れられるのは難しいと思います。それを頭ごなしに叱るという態度で接するばかりではあまりにも能がないというものです。患者さんはクリニックに来られるまで、不安・恐れ・逡巡しながら足を運ばれるわけです。そんなお気持ちを斟酌できない我々ではいけません・・・。反省!

Good luck!

1月31日 木曜日 晴れ

早いもので一月ももう最終日となりました。一月はいぬ・・とはよく言ったものです(おばあちゃんがよく言ってました)。今日はかつて共に働いた同僚が3月末でこの地を去られるという話を聞きました。人生に出会いと別れは付きものなのではありますが、寂しいですね。3〜4年前くらいからこの季節はちょっと嫌いな季節になりました。3月31日は毎年当直を入れていたのですが、幾人かの仲間達がいなくなって、ところどころに何も置かれていない机がある医局で、寂しくコーヒーをすすっていたのをついこの間のように思い出します。ま、ものの一ヶ月も経てば何事もなかったかのように、みな元気に働いているのではありますが・・・。

 

 

http://bit.ly/U1Vt0s 任天堂岩田社長捨て身の覚悟、業績不振で辞任も示唆・・・これが右肩上がりの経済志向の宿命ではないかと思われます。過去の勝者も一瞬のうちに敗者となり得るのでしょうか・・。数年前のトヨタしかり、常に回し続けなければいけないしんどさとは、計り知れないものがあります。経営者のはしくれとして、すこし考え込んでしまいます。これで良いのか・・

継続性という事の意義

1月28日 月曜日 朝は雪 その後曇り

太陽の力ってすごいですね・・・。ものの十数分、日光が雪溜まりを照らしてくれるとあっという間に雪の固まりが融けてしまいます。私たちが行う雪すかしのエネルギーに換算するとえらいことだなあと実感されます(エネルギー保存の法則?)。いやいや、それとは全く関係ないのですが、外来をしていますと、患者さんとの会話の中でいろいろとご家族のお話が出てくるわけであります。あまりこれを根掘り葉掘り伺うわけにはいかないぞと思いながらも話が続くうちに・・・ん?どうやらご主人も患者さんで診ている方?なんて思う場面も増えて参りました。それがわかったところでどうというわけではないのですが、一人の患者さんを診るにつけても、いろいろなバックグラウンドを頭に入れながら進めていくのは非常に大切な事であります。かかりつけ医・・という言葉の意味っていろいろとあると思うのですが、『知っているということ』の意義はとても奥深いものがあるのではないかと思います。知っているためにはやはり継続的に関わりを持たないと難しいところはあるのですが、わずか数回の外来でもそういった関係性を築く事ができるように医師として接していかなくてはいけないなあと思う今日この頃です。そのためにはやはり、気軽にお話のできる存在であるべきなのでしょうね・・・。

Daibutsu

民意主導の政治・・・これほど人口に膾炙される表現はないのですが・・というかこの言葉を耳にする事はないという日はありません。これってすこし危険な気がするんですよね。結局、民意主導でやったのですが◯×▲でした・・というエクスキューズに使われる余地が残されているように思います。医師であれば、自分がこう思うからこうしましょう・・あるいはこうしませんか?ということを提案できる事が、自分自身の存在価値であると思うのです。政治家や評論家も然りで、民意、(あるいは)アンケートはこのような結果ですが、こうしませんか?という提案のできる人がもっとふえてくれると良いなと思います。

I’ve just completed “Yuki-sukashi” …ha ha ha

1月26日 土曜日 今のところ雪..

まだいちにちが始まったばかりですが 半分以上仕事が終わったような気がします

Yukikaki

脱マニュアルのススメ

1月23日 水曜日 雨

留学中に聞いた笑い話をご紹介しましょう。某経済大国のリーダーM首相と米国クリントン大統領の首脳会談での一席(真偽のほどは不明です)。

M氏(官僚からの振り付けに従い・・)『Hello, how are you?』

クリントン『Yes,thank you i'm doing good, and you?』

M氏『Me, too.』・・・となる筈が

M氏『Hello, who are you?』(とやらかしてしまい・・)

クリントン(機転を利かせ)『I'm Hillary's husband…』(と返したところ)

M氏(シナリオ通り)『Me,too.』(爆)

マニュアルは・・・恐ろしいですね。危機管理の際には多いに威力を発揮してくれると思うのですが、対人関係での(あるいは接客の際の)マニュアルは害はあっても利はあまりなしというのが私の考えです。まずマニュアル通りの受け答えは相手にわかりますし、わかると何となく小馬鹿にされたようで気分が悪いのです。あと、応用が利きません(というより利かさないようにするのがマニュアルなのかもしれませんね)。物事の原理さえ理解しておけば、マニュアルは不要になるし、それが最大の危機管理なのではないかと思います。ま、言うは易し、行うは難しなのですが・・。

Pancake

インターネット界の天才

1月21日 月曜日 曇り

滞りがちな更新でございます。もと外科医というせいか、最悪のシナリオに備えるという習慣がすっかりと身に付いている私です。どういう事かと申しますと、手術というのはやはり生身の患者さんの体にメスを入れる治療ですので、術前の検査での予測と実際が違っていたりすることがよくあるわけです。例えば、肝門部胆管癌という悪性の病気があるのですが、この場合の手術は、手術前の読みとわずか1センチ違うだけで手術が不可能になったり、極端に難易度の高いものになってしまったりことがあります。要するに、手術開始後にAの部分の読みが違っていた場合はこうしようとか、Bという部分の予測が違っていたらこうしようとか、といった不測の事態に備えれば備えるほど、安全な手術に近づくということになっているわけですね。最近の政治経済の報道やニュース番組をみていてつくづく思うのですが、国債の債務も、右肩上がりの社会保障も、とにかく経済を立て直す事で良くして行きましょうという論調があまりにも多すぎるような気がします。経済がよくなレバ、解決するでしょう。というのは至極もっともなのですが、if not,ということについて語ることのできる人が少なすぎる(というか、ほとんどいない、すくなくともメディアでは)ような気がするのです・・。こんなことをいうと、悲観論者だと一笑に付されるのでしょうけれど。外科医、あるいは医師は常に、最悪のシナリオを想定している人種なのだなあと実感する今日この頃です。

タイトルは・・・アメリカでインターネットの鬼才といわれたアーロン・シュワルツ氏が自殺したという報道を目にしました。彼は14才の時からRSSというウェブ配信の規格の作成に参加したインターネット界の天才ですが、最近はマサチューセッツ工科大の論文のデータベースから大量のデータをダウンロードしたとして検察の厳しい追及を受けていたとの事です。彼曰く、『税金の投入されている学術論文は、万人に公開されるべき』との主張をしていたそうです。自殺についての事の深層はもちろん窺い知ることはできませんが、彼の言い分を宜なるかなと考える人は少なくないのではないでしょうか。

Pancake

出来上がりは・・・乞うご期待

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