京都府与謝郡与謝野町 内科・外科・リハビリテーション科・在宅診療 いとうクリニック

ふくろうくんのブログ

恒例の・・

9月1日(日) 雨

毎年夏に行う近所の川の草刈り行事でした。曇りでパラパラ雨の中始まりましたが、途中からどしゃ降りに・・・。おかげですっかりきれいになりましたが、結構大変な作業でした。皆様ご苦労様でした。去年はお天気のなかの作業でヘトヘトになったのを覚えてますが、今年は正反対のお天気で、暑くはなかったのですがどちらが良いのか判断に迷うところです。日頃診察に見えているかたも頑張っておられましたので(確かお膝が悪かったような・・・)、私も音を上げるわけにはいかず。かなりの斜面を作業する箇所もありますが、皆さんお元気です。草の中から飛び出して来るバッタや何やおりましたが、そのうちあまり気にすることもなく作業に没頭することとなりました。茶色のニョロニョロと動く細長い生き物を目撃した時はややビビりましたが・・・。

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ま、無事ケガ人もなく終わったのはなによりでした。

 

ようやく3万人を切った

8月28日 水曜日 晴れ

今週は再び暑くなります。というお天気キャスターのお言葉ではありましたが、湿度がそれほど高くないためか、比較的過ごし易い日が続いています。昨年ようやく3万人を切った年間自殺者数ですが、ここ数日は有名人の事件がテレビを賑わしているようです。身内の方も有名人で、いつ面会するのかとか、憔悴しきった表情でとか、知っても知らなくてもよいような内容をよくも細かく報道するものだなあと思います。直に見てはいないのですが、色々と昨今の報道体制には批判もでているようです。我々医師の使命は、病気を治すことにあるわけですので、命を自ら絶つという行為にはとても敏感にならざるを得ませんし、最も忌むべき行為として啓蒙していかなくてはならないと思っています。WHOが自殺予防のための報道関係者の手引きを発表しているのはあまり知られていないことだと思います。10あまりの項目からなるその見出しから、メディアで扱う自殺報道では、世の中に与える影響の大きさから、相応の配慮がなされて然るべきとの姿勢が汲み取れます。一方で、日本で公的なデータとしての自殺者の数値などが公表されるようになったのは2010年だそうです。それまでは自殺予防対策を立てようにも正確な数値の把握すら困難であったと、ライフリンク代表の清水康之さんは言っておられます。彼らの努力もあって、徐々にその数は減ってきているようですが、先進国において日本や韓国は自殺者の割合がとても多いようです。いじめの問題や社会保障費の切り下げの問題、或は格差社会やマスコミ報道など、色々と考えないといけないことは多いですね。その当事者にしてみれば、相応の重大な問題を抱えておられたわけでしょうから、それを批判したりするつもりはありませんし、ただただご冥福をお祈りするばかりなのですが、そんなことをする必要がない社会を皆で知恵を出し合って作っていかなくては行けません。日常的な人付き合いの中でも、助け合ったり配慮し合ったりすることはとても大事なことだと思っています。政治家や政府、自治体に要求期待するばかりではなく、個人レベルでも日常的にできることは色々あるのではないでしょうか・・・。

今日は、生きたくても生きることができず56才の人生でこの世を去られた方のお言葉を聞くことにしましょう・・・。

作家のBOT

8月23日 日曜日

近所の川の草刈り&清掃の日なのですが・・・朝から雨です。今日はないのかな?

ってことで少し暇なので、サボりがちであったブログをアップすることにしましょう。最近ニュースでは何やらLINEとかいうものが若者の間で流行っているとか。ツイッターとかフェイスブックとかまでは何とかついていっていた(過去形)のですが、もうおじさんには関係のないツールになってしまいました。こうしてデジタル難民の一員として埋もれていくのでしょうね。しかしながらっ!!最近密かに楽しんでいるのはツイッターのBOTと呼ばれるものです。BOTとはロボットの略だと思うのですが、例えば有名人の過去の名言を定期的に、部分的に切り取った形で飛ばしてくれるのです。主に作家のBOTをフォローしているのですが、芥川龍之介とか安部公房とかもちろん夏目漱石も太宰治もあります。「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのは莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である・・・侏儒の言葉」とか「さまざまな音が聞こえすぎて、何も聞こえない・・・方舟さくら丸」とか、文脈がないので、あくまでも言葉遊びなのですが、結構暇つぶしにはなります。ところで安部公房が東大医学部出身の作家だったことってあまり知られていないのではないでしょうか。理系の頭脳は天才的であったらしく、コンピュータのプログラミングなどの知識も豊富であったそうですが、SF的な要素もある作品は結構私の好みでもあります。最近女優の山口果林さんが彼とのことを綴った書を出版されましたね。他に医学部出身の作家と言えば、森鴎外もそうですし、海外ではサマセット・モームもそうだったように思います。ということで、検索してみると、北杜夫、斎藤茂吉、加賀乙彦、加藤周一、最近ですとさらにたくさんおられると思いますが、帚木蓬生とかは一時結構読んだことがあります。ちなみにシャーロックホームズのコナンドイルも外科医だったとか?!ところで、今我が家で旬の作家は伊坂幸太郎さんです。面白いことに妻と私の好みは正反対なのですねえ・・。僕がおもしろいなあと思う作品は、嫁さんはダメで、僕が初めに読んで挫折した作品に嫁さんがハマったり。ついでに趣味とか食べ物の嗜好も全然違いまして・・・。しかしながら、かれこれ20年近くも一緒に暮らしてきているのでして、言い訳するようですが、互いに異質なものどうしが一緒に暮らすから面白いわけなのですよね(たぶん)。よく結婚を決断した理由に「価値観が一緒で」というのを聞くのですけれど、うんうんそれは成る程・・・なのですが、一方では多様化した価値観の現代で、と言いながら、その多様なものが一致する相手を捜さねばならないというこのアンビバレンスに生きなければならないというのも少し窮屈な気がします。元阪大総長の鷲田清一先生も言われていました。「両親が同じ価値観に基づいてワーッとやると子供は逃げ場がなくなってしまう。片方がこうしなさいってやると、もう片方は少し引いて様子を見てあげる。そういうのが大事なのだと思います」って(かなり私の意訳が入っていますのでご注意を・・・)。

Wa-1

そんなこんなで只今7時45分、世間は静まったままでありましてどうやら草刈り行事は雨天中止のようです(ちょっとラテンな気質のある【と僕が思っている】この辺の人々なので、雨天決行なのかと思ってました)。さ、これから再び約2時間のロングドライブを楽しむことにしましょう・・・・

夏休みのできごとなど

8月22日 木曜日 晴れ

かなりの長期のお休みを頂いてました(あくまでもブログ・・です)。言い訳するようですが、単に怠惰のためばかりではなく(それが8割ですが)、更新サイトへのログインが何故かできなかったのも一つの理由です。開けて下さった方すみません(決まり文句のようになってきました)。

さて気を取り直して、夏休みのご報告でもしておきましょうか。今日高校野球は、一日の雨天順延もなく決勝戦が終わったようです。診療が終わってから、さてさてどこが優勝したのやらと思ってウェブサイトを見ましたが、あまりメディアでの取り上げは大きくないのか、かなり探してやっと一つの関連記事を見つけました。何はともあれ、おめでとうございます、と暑い中お疲れさんでした。まあハンカチ王子の時はヤフーニュースのトピックス欄にいつもトップで記事が並んでいたのでしょうけれど、目玉になるような選手がいない時には割とクールな感じなのですね、マスコミさんって。客席で熱中症の人が出ると、スタンドから救急車を個人個人が携帯でコールしているのか、スコアボードの掲示板には「救急要請は球場を通して行うようにして下さい」という案内が出ていました。熱中症といえば、小生も夏休み中には、チビさん(もう身長は抜かれてしまいましたが・・)のテニスに付き合いましたところ、軽い熱中症のような症状を経験しまして、目の前が黄色〜くなったり、かるい動悸を感じて、こりゃまずいな・・と思ったところでした。おかげで下唇には”熱のはな”と呼ばれる単純ヘルペスが花咲きまして、ひりひり痛むことしきりです。患者さんにも「先生それどうしたん?」って聞かれる始末でした。おかげで?夏の課題図書はまだ4割程度しか進んでおりません。静かに戦後を考える時間は繰り延べで、お盆明けの今取り組んでいるところです。そうかと思うと、ブログでも少し取り上げました、はだしのゲンが図書館の配架禁止となった自治体があるとか言うニュースを目にしたり、文科省の大臣様がそれについて”さもありなん”と発言されていたり、戦後は遠くなりにけり・・なのかなあなんて考えたりしました。実際にはまだ70年も経っていないのですがね。原作者には悪いですが、あの漫画こそ買って読むものではなく、図書館で読むべきものなのではないかなあと思います。

Gen

また気をひきしめて、医療に有用な記事もアップしていきたいと思います。今後ともまた、愛想を尽かさずにおつきあい下さい。とにかくまだまだ暑い日が続きそうですが、皆様お体お気をつけて・・・。

8月9日ふたたび・・・

8月9日 金曜日 猛暑

あつい一日です。今日はやっぱり長崎の日ですね。長崎は中学生の頃に家族旅行で訪れて以来、研究会、学会でその後3回ほど訪れた街です。広島にしても長崎にしても路面電車が走る趣ゆたかな街並です。英語で学会発表した初めての街が長崎だったのですが、その時の原稿は今見返すと赤面ものの文章です。当然散々の出来映えであった学会の後に入ったお寿司屋さん?のような居酒屋さんのようなお店で(一人で行ったのですが)、地元の方の話される内容が全く聞き取れなかったのを覚えています。学会での英語も聞き取れず、日本の人の言葉もわからんのか・・・とかなりへこんでいた事を今さらながら思い出します。最後の長崎visitは、前任地であった病院で、画像診断システムや電子カルテの更新の時に、見学に行った際に訪れたのがおよそ2年前くらいでしょうか?国立病院機構長崎医療センターの地域医療を包含した取り組みはとても我が眼に目新しく輝いて見えた事を覚えています。途中で立ち寄ったのはもちろん平和祈念像でした。「のどが乾いてたまりませんでした。みずには油のようなものが一面に浮いていました。どうしても水が欲しくて、とうとう油の浮いたまま飲みました」9才の女の子の手記がその記念碑に刻まれています・・。もしもその9才の少女が我が子であったなら・・そんなことを考えながら、病院一行様から少し離れた場所で、真夏の暑さに汗しながら見上げていた空を思い出します。この夏の読み物を決めました・・・「東京プリズン」という小説です、長編なので時間がかかりそうですが、合間にはクリント・イーストウッドの2部作である「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」を観る事にします。感想はまた後ほど・・・

Peace

話はかわって・・・少し前に気づいたのですが、京都は東本願寺の前を通るたびに(Yどばしカメラに行ってるわけですねこれが・・・)目にするこの看板「今、いのちがあなたを生きている」。ずっと気になっていたのですが、今もずっと心に残っている言葉です。何となくこういうことなのかなあ・・・というのは考えているのですけれど、気になっていますし、何となく教えられることがあるなあと思ったりしています。もう少し考えがまとまればまたアップしたいと思います。

a day to be remembered

8月6日 火曜日 くもり時々晴れ時々雨

自転車通勤の人には悩ましくも、予想のできない天気が続いています。毎日の洗濯も大変なのではないでしょうか。例によって長らく更新をサボっておりました当ブログです。開けて下さった皆様すみません。トップ頁にしねしね団を晒しておくのはいかがなものかと気になっていながらついつい・・

さて、今日8月6日は広島の原爆の日です。市長の宣言文をじっくりと読んでみました。夏休みのまっただ中、すこし街の喧噪を逃れて、68年前の過去の出来事に日本人一人一人が思いを至らせ静かに過ごしたいものだなあと思います。もちろん9日と合わせて、我々にとって20世紀最大の忘れる事のできない日です。毎年この時期には何か関連する書物を読もうと心がけているのですが、今年はまだ何にするか決めきれずにいます。先日テレビでさまざまな国の言語に翻訳されている「はだしのゲン」が紹介されていました。小学生の頃に友達から借りて読んだ事を思い出します。皮肉にも昨日には在沖米軍のヘリコプターの事故も報道されていましたが、最近沸騰している改憲論議なども国民の一人として真剣に考えないといけないテーマでしょう。昨夜の報道では政府および米軍 VS 地元の声の対立に焦点が当たっていましたが、それも大事なのですが(それは今さらに始まった事ではありませんね)、軍の方が一人亡くなっておられるとも聞きます。ご冥福をお祈りしつつ沖縄の今後についてしっかりとした対策を講じて頂きたいものだと思います。

New comer

新しい診察室のキャラ登場!!シーサーズ(複数形にする必要なし??)と2匹目(2頭目?2人目?)のさるぼぼクンです。よろしくっ

同時代を生きるひとびと

7月26日 金曜日 お昼にどしゃ降り

お仕事が一段落してテレビをつけると復活したサザンのメンバーが歌ってました。「ピースとハイライト」を聴いていると、ストレートに心に響く感じでした(かなり社会的メッセージ色の強い歌詞でしたが)。同じ時代を生きていると、ある程度人間の心って同じ方向に振れていくのだろうかなあと感じました。たまたまその振れる方向には左と右と異なる方向があって・・・(別に右翼とか左翼とかいう意味ではないのですけれど)。そうすると、ふと同時代を生きる人同士の感覚っていうものは、昔の時代はどういうふうに培われたのだろうかと考えてしまいました。今でこそ巷にはメディアの情報というものが氾濫して、同じ映画を見たり、同じ歌を聴いたり、同じニュースをリアルタイムで見たりするので情報共有の方法には事欠かないわけですが、それこそテレビやラジオや新聞すらなかった時代の人たちはどうしていたのでしょうか。人づての情報収集であったり、えらい人ならそれこそ遣いの者を差し向けたりしていたのでしょうか。今でこそ歴史の教科書で同時代人として扱われている人たちも、意外にその当時はあまりお互いを知らなかったりする事ってあったのかもしれません。さすがに西郷隆盛と坂本龍馬は差し向かいで話をしていたのでしょうけれど、土方歳三と福沢諭吉と岩崎弥太郎は同年生まれの者同士ですが、かたや尊王攘夷運動に命をかけて新しい時代の幕開けと共に散って行った者もいれば、かたや維新、倒幕運動にもみじんの興味を抱かずにひたすら学問の道を究めていった者もいて、もしかすると当時お互いの存在を知らなかったなんていうこともあり得るのではないでしょうかね。いったいこういう時代に生きた人々が共有する時代感覚というものはどういうものだったのでしょうかねえ?でもそんな非・情報共有の時代だからこそ、100人もの人々の決起意思が1年もの間、表沙汰にならずに秘密を守れたわけなのですよね、赤穂浪士の事件って。まあ最終的には47人の間の秘密に落ち着いたわけですけれど・・・。

同時代のひと集まれ〜ってことで、第一問。レインボーマンの悪役は?そう死ね死ね団ですね。ボリューム絞り気味でどうぞ。いまならおそらく放送禁止でしょうこれは・・・(苦笑)。ところでレインボーマンの師匠のダイバダッダって実は、仏教では極悪人だった人だそうです。

ちくわ

7月24日 水曜日

夜にほんの一瞬雨が降っていたように思います。その少しあとにドドーンと花火らしき大きな音がなっていたようにも思います。花火と言えば、泣く子も黙る夏の風物詩ですが・・・ウチのチビちゃん達はといえば、”泣く子もより泣き叫ぶ”夏の風物詩、かつ親としてのトラウマだったのでありまして、南丹の花火で大泣きし、ミネソタ州ロチェスターはシルバーレイクの花火でやはり大泣き。なのでいまだに、宝ケ池の花火が聞こえても、少し家族皆の顔色を眺めてから反応すべきかどうか考えてしまう性が定着しております。伊坂幸太郎のスランバーランドという小説にも花火師が登場していましたが、まあ日本人の心に打ち響く、蚊取り線香と夏花火であります・・・。何やら訳の分からぬブログになってしまいました。

ちくわ

ちくわ・・・魚のすりみをぺたぺたと竹の棒に貼付けて焼いたものですが。おいしいですね。輪切りにして(まあ竹輪を切るとほぼ必ず輪切りになるわけですけれど・・)、チャーハンに入れたりするだけでも美味しいですし、輪切りをそのまま炒めて、味の素を振りかけるだけでも絵になります。だれが考えたのでしょうか?魚をすりつぶして・・・棒にぺたぺた貼付けて・・・焼く・・などということを。

人の話を聴くこと

7月23日 火曜日 曇り

選挙も終わり世の中はまた静けさを取り戻しました。テレビなどではもうここぞとばかりに、開票特番などをやっていたようですが、そこからがスタートなのですよね。国民みんなで選んだ代表者の方が、本当にみんなに有意義な政策を立案して法律に形作ってくれるのかどうかウォッチしていくことが、開票速報のインタビューよりも遥かに大事な事だと思います。国民皆保険が本当に維持されて行くのかどうか?いつでも誰でもアクセスし易い医療制度が維持されて行くのか?医療従事者である私も目を皿のようにしてみて行かねばと考えております。メディアは盛んに、ねじれ解消を連呼しておられますが、本来衆参両議院が存在する二院性の意味は、お互いがお互いの暴走を食い止めて、一方的な方向に走って行くのを抑止することにあるわけで、よくよく考えるとねじれを前提とした政治制度なわけです。これを考慮に入れると、現在の一党単独飛行を許してしまいかねない体制はやや危ない側面もあるのではないかなあと思います。チャーチルでしたでしょうか?民主主義は最悪の制度である、その他に現存する社会体制をすべて除けば・・・という言葉があったように記憶しています。額面どおりうけとるならば、民主主義とは一人あるいは一党の暴走が起こらぬように、急激な社会制度の変革に晒されないように、いわゆるless worseの選択を行うのがその本来的意味という事になると思います。果たして現在の我々は、即決、効率、スピードこそ命・・・という論理に毒されすぎていないと断言できるでしょうか?

新入りクン

新入りクンです。この間までとてもお世話になった方より頂きました。私自身もとても勉強になった数ヶ月でした。どうもありがとうございます。あ、またまたタイトルを考えていた時のことを忘れてしまいました。今日はラジオで”今宵ロックバーで”という番組を聞きながらこれを書いていたのでした。ラジオっていろんな事を考えながら、想像力たくましく楽しく聴く事ができるのだなあと、最近のマイブームです。色々と好きな番組もありますけれど、またの機会に・・。

努力・辛抱・根性

7月18日 木曜日 晴れ

東京大学解剖学教授であった養老孟司先生の著作を読んでいます。まだ途中なのですが、ふむふむなるほどなどと頷きながら半ばまでやって参りました。解剖学者なのですが、同時に昆虫好きとして世に知られている先生の物言いは、時にシニカルで斜に構えておられる印象だったのですが、その著作の方はと言えば、気持ちのよいくらい言い切りの連続で、そこまで断言して良いのだろうか(おそらく意図的にそうされているのでしょうけれど)と思う事しきりです。実は日本は世界に誇る資源国家だったのですというのはまさに卓見だと思いました。こうすればああなるという経済学的思想(脳の思想)と正反対に、環境重視の思想は身体の思想であると述べられています。私の要約がへたくそなのでおそらく何の事かと思われるでしょうけれど、まあ皆さんご一読あれ。直接的な何かが得られるものではないと思いますが、読んだ後にはほっこりと何かが心の中に生まれる事でしょう。日本人は「手入れ」が得意で、自然と共生しながら生きてきたこと、その過程では努力と辛抱と根性が培われてきたのだという事。古代中国の老荘思想とも通ずる考え方を理解することができます。

往診途中

芥川賞と直木賞決まりましたね。今年のは2作とも読んでみようかなあと思っています(文庫化されてから・・・!?)。

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